「条件付きの愛」はつきもの

「俺はこの子を誰よりもかわいがっていたのだ。だからその手に余生を委ねて、優しく世話して貰おうと思っていたのに」とリア王は言い、その当てが外れたと見るや怒り狂ったのです。

そして諫めたケント伯爵をも追放。こうしてリア王は、国を譲った長女と次女のもとで、一月ずつ過ごすことになりますが、しだいにどちらの娘にもないがしろにされ、居場所をなくして荒野をさまよう羽目になります。

フランス王妃となった三女は父を助けようと挙兵するものの、二人の姉夫婦との戦いに敗北。とらわれたリア王と三女をケント伯が助け出しましたが、時すでに遅く、三女は息絶え、リア王も絶望のうちに死んでしまいます。

やがて二人の姉も仲間割れし、次女は長女に毒殺され、長女も死んでしまうのでした。

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あらすじを書いているだけで、毒々しくてつらいものがあります。

まず、毒親には「条件付きの愛」がつきものですが、その「条件付きの愛」を、リア王は地でいってます。自分を大事にしてくれたら財産を分けるが、さもなければすべて取り上げるというのですから。

さびしい「毒親」がきょうだい仲を引き裂く

結果、上の子二人に裏切られ、可愛がっていた三女を追放したことを悔やむわけです……。今も、子どもに財産を譲った途端、ないがしろにされるってありがちですよね……。

リア王は子を差別してもいたわけで、そういう子らのきょうだい仲が悪いのも「毒親あるある」です。

きょうだいを比較して、ひとりだけ叱ることで、「親の要求に十分応えていないことを思い知らせようとする」(スーザン・フォワード、玉置悟訳『毒になる親』)のです。

「こういう親の行動は、意識的であれ無意識的であれ、本来なら健康的で正常な兄弟間の競争心を醜い争いへと変えてしまい、兄弟間に嫌悪感や嫉妬心を生じさせてしまう」(同前)といいます。

毒親は、子らを分断することで、自分のコントロール下に置こうとするわけです。そうまでして味方がほしい。毒親って、さびしいんですよ。

言ってみれば『リア王』は、リア王という毒親に育てられた三姉妹の悲劇です。

王と三女だけでなく、気まぐれで激しい性格の父に差別され、三女と戦争する羽目になった長女や次女も被害者なんです。だから、財産だけもらって、さようなら、となる。

『リア王』が凄いのは、子どもの悲劇だけではなく、毒親自身のさびしさ、悲しさをも浮き彫りにしているところでしょう。『リア王』を読むと、毒親育ちの子どもたちも可哀想なら、毒親自身も哀れだなぁと痛感させられます。