確かに夏休みの間は、1週間に10~12本のレポートを書いて、500ドルを稼ぐのがやっとだった。ところが秋学期が始まると、週に30~40本のレポートを仕上げて、2000ドル稼いだこともあった。感覚が麻痺するほど大量の仕事だが、稼ぎも多かった。

この仕事を始めたときは、私自身も追い詰められていて、倫理的な側面について考える余裕はなかった。生活に困窮している学生から料金を取るのは申し訳ない気もしたが、こうした学生には基本料金を割り引く仕組みをつくることで、自分を正当化した。私も仕事が必要だったのだ。

今はもう、レポート代筆の仕事はしていない。コロナ禍が収束に向かい始め、経済活動が再開すると、バーテンダーの仕事が戻ってきたからだ。電子書籍や大学入学用エッセーの校正をしたり、ライターの仕事もするようになった。

つまり今は、少しばかりまともな仕事をしている。だが、コロナ禍のとき必死につかんだ仕事で垣間見た、多くの若者が必死で生きている姿は決して忘れないだろう。

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当記事は「ニューズウィーク日本版」(CCCメディアハウス)からの転載記事です。元記事はこちら
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