「学校に来させること」を絶対視しない
昨年、私の関わる学校の校長先生がこんなことをおっしゃっておられました。
コロナ禍や一斉休校の経験から学んだのは、これからは新型コロナウイルスだけではなく、インフルエンザやほかの感染症や災害にも積極的に備えていくことが大切だということ。
そして学校に来る、来させることを絶対視しない、具合が悪くても、学校が合わなくても無理せず休めることのほうが、児童生徒にとっても保護者にとっても、安心できる学校になる。
そしてこれまでの課題学習、手紙や電話だけでなくオンラインでつながりをもてることをあたりまえにしていきたい。
私が関わる範囲でも、いま、このような考え方が、学校や教育委員会に広がりつつあることを実感しています。
いままでオンライン授業には冷淡だった自治体が、オンライン授業に対応できるようになったことも、もしかして「学校は休んでもいい」という発想が少しずつ共有されるようになったからかもしれません。
「休めない企業文化」を変えていけるか
もちろん多くの児童生徒にとって、学校はかけがえのない居場所であり、学びの場です。
しかし、考え行動できる大人ほど、学校に来させることがあたりまえ、「学校を休めない」ことが当たり前だったコロナ前の学校文化や、同調圧力の限界も感じ、そこから進化しようとしているのです。
「学校は休んでもいい」、できる形でつながり学ぶ。そのほうが、より多くの児童生徒が安心し、安全が保たれる学校になるからです。
「学校は休んでもいい」、その発想が学校も社会も強く生きやすくするのではないでしょうか。
日本の大人や企業も、デルタ株収束を阻害する「休めない」企業文化を変革し、同調圧力をなくし、「休んでもいい」という方向に変われるでしょうか。
日本という社会の生き残り戦略としても興味深く見守っています。