荒唐無稽な「デマ」をシェアする人たちの心理

そして最大の問題である「分断」です。感情刺激競争は、分断も加速させる。イタリア・IMTルッカ高等研究所のウォルター・クアトロチョッキらの研究「ネットの共鳴効果」(『日経サイエンス』2017年7月号)や、インディアナ大学のフィリッポ・メンツァーらによる「SNSがしょうもない情報であふれるメカニズム」(『日経サイエンス』2021年8月号)の研究が含意しているのは、人は荒唐無稽な「デマ」に対して正しいと思ってシェアするのではなく、「自分が信じる世界観」と合致するからシェアするということです。これは逆の集団にも言えます。

2020年から続いている新型コロナウイルス禍、東京オリンピック開催か中止かをめぐる議論はその典型です。分断が進行すると、意見の合致する集団同士が固まり、お互いの集団が違う意見を「敵」とみなす議論が進み、結局のところ議論は一向に進まず、現場を踏まえた実務的な解決策から遠のく議論ばかりが展開されます。

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新聞にもテレビにも出版にも価値がある

では、どうしたらいいのか。僕は長期的には、人間のバイアスやインターネットの現実を踏まえたうえで、課題を乗り越えていく方法はあると思っています。

そのために必要なのは、迂遠うえんですがメディア(個人で発信している場合は個人)と読者との間で「良いニュース」の文化を創ることです。文化というのは長期の積み上げのもとに成り立つ信頼を意味します。短期的な合理性で考えれば、感情を刺激して満たすニュースを出し続ければいい。そのほうがネット上でのプレゼンスも高まります。ですが、長期的に考えれば、常に読者に刺激を与え続けるという選択肢しかなくなります。刺激は慣れていきますので、より強い刺激を与え続けないといけないということになります。

僕がインターネットメディアに移ってから自覚したのは、新聞には当人たちが考えている以上の信頼という価値があることでした。テレビにも出版にもその価値がある。彼らは歴史的に長期的に積み上げた実績があるからです。しかし、内部にいる人たちほど、その価値を信じられなくなっています。