カリスマ上司からチームを守れず転職を決意
大野さんは「午後の紅茶」の広告宣伝を担当。キャンペーンの企画や市場調査、新商品のブランディングも任され、充実した日々を送っていた。「午後の紅茶」は業界一位の売り上げを誇り、CM好感度も年間トップ10入りを達成。自分で「午後ティー」チームを持つようになると、信頼するメンバーと作品を創りあげる喜びは大きかった。
しかし、あるとき“カリスマ”と言われる凄腕の上司が着任。その頃から少しずつ部内に波風が立ち始めていく。
「たたずまいからオーラがあり、話し方も人を引きつける魅力がある人。『おまえたちがやりたいことをやれ』と懐が広く、社内でも人気の上司でした。でも、ある日、ふと気がついたのです。結局、その上司は自分のやりたい方向にもっていくのが巧みなのだと。プレゼン上手、巻き込み上手なので皆も賛同するけれど、私たちはうまく転がされているだけなんじゃないかと」
大野さんは社外の代理店やスタッフと信頼関係を築き、チームを大切に育てたいと思っていた。だが、上司はコンペで選ぼうと言い出し、競い合った末に他のチームに決まってしまう。その結果、大野さんが一緒にやってきたメンバーが総入れ替えになったのだ。しのぎを削る広告の世界ではやむをえないことではあるが、消化しきれない思いもあったと大野さんは振り返る。
「自分のチームを守れなかったことが悔しくて、初めて社内のトイレで泣きました(笑)。私も未熟だったので、もうちょっと修業しなければと思いまして……」
カリスマ上司の手の内で転がされているのは嫌だった。それでは本当の力はつかないという焦りもあった。キリンビバレッジで広告宣伝を担当した3年間。20代後半になった大野さんは、その先の生き方を考えたという。
「自分の肩書きといえば、『キリンの一社員』でしかありませんでした。そうではなく『私は○○です』と自信をもって言える人間になりたかった。何度か一緒にお仕事をした尊敬するプロデューサーが自分のことも上手く表現しながら、良いチームを育てているのを見て……そんな風になりたいと思いました。そこで私も、30歳までにプロデューサーになりたいと思ったのです」
チーム一体となってCMをつくる日々に没頭したプロデューサー時代
2000年5月、転職活動の末、広告の制作会社の中でもトップ3のひとつ「AOI Pro.」に入社すると、いよいよクリエイティブの現場へ。「プロデューサー」になるための修業が始まった。
「最初はガムテープを背負って、現場を走り回るアシスタントからスタートします。お弁当の発注や掃除から始まり、新入社員の中でがんばっていた感じです(笑)。会社に泊まり込むこともしばしば。毎日大変でしたが、若い同期よりも相当がんばらなければと思っていましたね」
5年目には念願のプロデューサーに昇格。クライアントの意向に応じて企画を詰め、監督、カメラマン、美術などの人選を担う。撮影現場には、タレントはじめ多くのスペシャリストが50人以上揃い、それぞれの才能を活かして創りあげていく一体感がある。所ジョージさんのアサヒ飲料WONDAシリーズ、小雪さんが出演したPanasonic VIERAなど、数々の人気CMを手がけた。