迷惑なんてかけ合ってナンボ

「生存さえしていれば次がある」

そういう初歩的で退屈で手垢まみれで見映えの悪い気構えが、「死なないために」は一層求められていきます。

チェコで飢え死にしかけたとき、友達になったばかりのギリシャ人に「メシを奢ってくれ!」と頼んでみました。そいつは快く奢ってくれた。そこから世界が変わりました。

声を上げれば誰かが助けてくれる。俺はお金がなかったんじゃない。プライドがありすぎただけだった。

当時は助けてもらうのは申し訳ないと思っていたし、自分のことは自分で解決しなければ、と自分をあきらめられていませんでした。

日本が息苦しく「あきらめる」ことに寛容じゃないのは、「人に迷惑をかけちゃいけない」という前提が大きな要因になっています。いろんな国に行ったけど、これは日本の独特な文化だなーと思います。

たとえばインド人は平気でウソつくし、適当だし、全然時間も約束も守らないけど、僕がすげえ好きなのは「自分も迷惑をかけて生きているから、人の迷惑も絶対に許す」ところです。迷惑をかけないのは不可能。だからお互いに迷惑をかける。かけられる。お互いさま。

そういう生き方が浸透しているから「あきらめたら誰かに迷惑がかかるかもしれない……」なんて、そもそも思わない。

迷惑なんてかけ合ってナンボだろう、という気持ちで生きてみると「あきらめる」ことにも抵抗感がなくなります。

そんな感じで僕は僕に奢りに来る人が一人でも少なくなったら嫌なので、これを読んでいるみんなは死なないように生きていったらいいと思います。

そのために、あきらめられるものは、どんどんあきらめよう。

それでも、いま死にたい人におすすめなのは「3年後に死ぬ」という設定で生きることです。「どうせ3年後に死ぬしなー。好き勝手やるかー。どうなってもいいや!」くらいにゆるく生きるわけです。

そうすると、だいたい3年後は僕みたいになります。

おすすめしたけど、おすすめはできません。

関連記事
「みんな凡人なのに『成功できる』と勘違いしないほうがいい」24歳無職が人生を諦めた理由
24歳無職の主張「タワマンを目指す人生より、タワマンを諦める人生のほうがハッピー」
富裕層は「スマホ」と「コーヒー」に目もくれない
「出世しても死んだら意味がない」肺がんの50代銀行員が病床で気づいた本当の幸せ
「小学4年生で人生が決まる」日本で進行する新型格差社会のヤバさ