なぜ日本のマスコミは「マスゴミ」と呼ばれるようになったのか。それは「調査報道」という機能が正しく伝わっていないからではないか。シンクタンク「アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)」理事長の船橋洋一さんと専修大学教授の澤康臣さんの対談をお届けする――。(聞き手=スローニュース社長・瀬尾傑さん)

※本稿は、3月30日にClubhouseで行われた対談の内容を再構成したものです。

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「権力監視」を超えた役割

——今回、澤さんが事務局長を務める報道実務家フォーラムと私(瀬尾)が代表を務めるスローニュースで、「調査報道大賞」を創設しました。くしくも船橋さんのAPIでも「PEP(ペップ)ジャーナリズム大賞」を創設したばかりです。なぜ今、調査報道に注目が集まっているのでしょうか。まずは澤さん、船橋さん、「調査報道」とは何だとお考えでしょうか。

【澤】一般的には社会的な問題を、政府や捜査当局の動きを報じるという形ではなく、記者独自の調査によって明らかにしていく報道スタイルのことです。

代表的なものとして、立花隆さんが文藝春秋に発表した「田中角栄研究―その金脈と人脈」(1974年)、朝日新聞のスクープが発端となった「リクルート事件」(1988年)があります。最近の例では、共同通信による、関西電力の八木誠会長(当時)など経営幹部らが福井県高浜町の森山栄治元助役から大量の金品を受け取っていた問題、秋田魁新報社が、防衛省のイージス・アショア(地上イージス)配備のための適地調査の報告書のずさんさを告発した記事などがあります。

船橋洋一氏(撮影=Seiichi Otsuka)

【船橋】かつては「政府のスキャンダルを暴いて退陣に追い込む」といった、映画『大統領の陰謀』的な報道が調査報道のモデルとされていましたが、今は医療や福祉、教育など生活に関わる報道にまで、裾野が広がってきています。

とりわけインターネットで個人が自らの体験を書くようになって、「一般市民も調査報道の担い手である」という、新しい時代に入っていると感じます。