反動で息子に厳しい教育方針をとる源氏

まず主人公の源氏からして、今でいえば毒親です。

「高貴な身分に生まれたのだから、そんなに学問をしなくても人に劣るまい。無理に学問の道に励むな」という父・桐壺院の方針で、学問以外の音楽や絵画といった芸能を習わされた源氏は、その反動で、息子の夕霧に厳しい教育方針をとります。

産まれた時に生母が亡くなった夕霧は、母方祖母のもとで育ったのですが、彼が12歳になると、学問をさせるため手元に呼び寄せ、育ての親の祖母と会うのは月に三度だけと制限します。真面目で頑張り屋の夕霧は、優秀な成績を修めるものの、いとこである恋人の雲居雁とも会えず、馴れぬ父との暮らしを強いられて「ひどい仕打ちをなさるものだなぁ」と父である源氏を恨みます。

これも一つの教育虐待です。

たとえば、引きこもりの当事者として、ウェブや雑誌で発信、『世界のひきこもり――地下茎コスモポリタニズムの出現』の著書もある、“ぼそっと池井多”さんは、母親に「絶対、一橋大学に入るように」と教育虐待を受けていました。彼の母親はお嬢様育ちでしたが、一橋大生に振られた経験があり、仕方なく高卒の男と結婚したという過去があったのだそうです(黒川祥子『8050問題』)。

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「自分ができなかったこと」「得られなかったこと」を子にやらせようというのは、教育虐待のパターン。そのパターンがすでに千年以上前の『源氏物語』には描かれているのです。

二代にわたって続いた虐待の連鎖

源氏は実はもともと大の学問好きで、「小さいころから学問に打ち込んでいた」のに、「学問を深く究めた人で、命と幸運を兼ね備えた者はめったにいないから」という父・桐壺院の考えで、学問の追究を阻止されていました。

院の頭には、伴善男や菅原道真といった、学問で出世した政治家の悲劇的な末路があったのでしょうか。息子の長寿と幸運を願ってのこととはいえ、子の思いを汲まぬ桐壺院も毒親といえば毒親です。

今なら受験のために部活をやめさせるようなもの。いや、それは夕霧のケースで、源氏の場合、好きな勉強をやめさせられて、部活を無理強いされたわけです。

桐壺院、源氏……と、二代にわたって息子の意志を無視する形であるのも、ちょっとした虐待の連鎖という感じです。

エンディングに込められた意味

さらに『源氏物語』が凄いのは、親の期待に押しつぶされるような形で自殺(未遂)する娘を描いたことです。

それが宇治十帖に出てくる、『源氏物語』最後のヒロインともいえる浮舟です。

浮舟の母である中将の君は、人に仕える女房の身分です。八の宮という源氏の異母弟の北の方(正妻)の姪でしたが、女房として出仕するうちに八の宮のお手つきとなって身ごもります。しかし八の宮は残酷にも妊娠以降冷たくなり、生まれた娘・浮舟の認知も拒みます。