自己破産と離婚成立
――その後、どうやって関係を清算したのですか?
結婚して以来住んでた3階建ての自宅の売却に、めどがついたから。住宅ローンが滞ってきてたんやけど、それで競売にかけられて、なんとか買い手がついたんや。不動産屋が買ってくれてんけど、お願いして、引っ越し資金だけは残るようにしてもらった。
――それで、晴れて離婚が成立したんですか?
うち、Bの父親の会社の連帯保証人になっててな、会社の負債を折半する形で、自己破産してしまったんやわ。病気がたくさんあって働けへんし、それでも息子は守らなあかんやろ? それで地元の市議とか市役所の福祉課に相談しに行ったりして、障害者手帳をもらって。最後は、生活保護を受けることになった。
――Bさんは離婚することに対して、どんな態度を示していたんですか?
最後の最後まで、関係清算に難色を示してました。「なんでおれが一人でおらなあかんねん」って文句言って。でも、うちはうちで「もう精神的にも身体的にも一緒は無理やから。とりあえず離れさして」って言って、家と引っ越しの日取りを決めて引っ越しました。協議離婚です。特に取り決めとかはしてません。
*離婚したのは、長男が保育園の年長のときだった。「殺す」と言われてから1年がたっていた。
離婚した夫との間に二人目の子を妊娠
離婚して夫との関係が終わり、池脇さんがまったく新しい人生を歩むのかというと、そうはならなかった。その後、思いもよらない因果な成り行きをみせることになる。
――離婚後は、どんな生活をしていましたか?
離婚してすぐ、初期の子宮頸がんがわかってん。そのうちがんに変わる細胞があるってことで、レーザーで焼いたりして治療した。そのとき思ったのは、うちがおらんようになったら、この子どうするねんやろうってこと。
――息子さんとは、どんなことを話してたんですか? 父親であるBさんと面会はしていた?
「父さんのところに行きたい」って言うねん。だから、月に1回ぐらいのペースで会わせてた。養育費はもらってへん。自己破産させられるぐらいやからな、Bはそれどころやないって感じやったやろ。誕生日とかクリスマスのときは何か贈ってもらってたけど、それだけやな。それでたまにBに会うと、ちょっと改心してる感じ。新しく相手見つけるにしても、うちの心の病気のこととか、息子のアトピーとか、最初から説明せなあかんやろ? でも、Bはその必要がない。だから楽やな、って思ったりするようになった。
――面会をするうちに、池脇さんやBさん、息子さんの関係が変化してきた?
そうやねん。3年ぐらい月イチで面会してたら、Bの息子への接し方が変わってきた。優しくなったというか。そんなふうに見えた。うちはうちで、息子のことをいつまで面倒見られるか不安やったしな。そんなんで、「やっぱり、このまま一人っていうのはなあ」って思ったりしてるときに、たまたまそういう関係になってしまって。肉体関係にな。変な話、その1回で妊娠してしまいました。40過ぎて。