「配信に活路を見出すにしても、このやり方では伝わらないものが明らかにあります。本来のコンサートとは違う。マイクで拾って、信号に変換して電波で飛ばして、聞いている人に音が届く……という段階で“失われるもの”は絶対にある。その場で鳴っている音を、そのままパソコンなりお茶の間なりに届けるのは難しいし、各家庭や個人の再生機器の性能に依存してしまう。環境による音質の格差も生まれる。
だからやっぱり、気持ちとしては生の現場に戻っていきたいです。配信はあくまでそれに対する“付属的な物”。そうじゃないと、画面を見て楽しむYouTubeやテレビ番組と何が違うのかって、感じてしまうから」
これを本当に収益にしていっていいのか
後藤は音楽機材への愛着が人一倍高く、だからこそ“生音”への愛着も大きい。広義の意味での「音」とは、そこで鳴る音楽だけでなく、空気の振動である。鼓膜以外でも感じる、肌で感じる複雑な空気の振動も含んでの「音」なのだ。
そんな音楽には、必ず凸凹がある。ギターの「ジャン!」をまるで目の前のように感じたり、ドラムのリズムを背後からの反響で感じたり。演奏する側も観客のレスポンスを織り込んで曲を作り、そうしてライブハウスは長年に亘り、音楽文化を底辺から養ってきたのだ。
後藤自身も、音楽を届けるバンド、空間を提供するライブハウス、そしてそれを楽しみに待つファンという三者三様のメリットを踏まえ“仕方がない”と腹を括りつつも、「本当に収益にしていっていいのか?」という戸惑いを、両天秤に掲げる。
「今は凌いでいくしかないと思う一方で、『このままただ便利にしていく』ということでは不十分な気がします。場当たり的な配信という対処も、もちろん生き延びるためには必要だけど、もう少し長いスパンで考えないといけない。たとえ僕らはやり過ごせても、僕らの子供・孫の世代で直面する問題になってしまうかもしれない」
「CDからサブスク」の時代に思うこと
「どうやったら生演奏で続けられるのかを考えていった方が、音楽にとって魅力なんじゃないかと思う。会えない前提でテクノロジーを進化させるのではなく、今まで続けてきた、目の前で色んなものを見て楽しめるということを、これからどうやって続けていくのか。その『限度』と『自由』を戦わせ合っていかないといけないですよね」