「公平」かつ「不公平」な書籍の世界
そもそも書籍という媒体は、ユニークだ。どんな有名作家が書いた本でも、どこの出版社が出した本でも、200ページ程度の単行本であれば、定価はだいたい1500円前後と相場が決まっている。逆にいえば、その頁数の中に、どれだけの価値や思いを注ぎ込んでも、あるいは注ぎ込まなくても値段はほぼ一定している。
形状が似ていても、値段はピンからキリまであるアパレルや乗用車などの世界では考えられないことだ。
よく似ているもので思い当たるのは「映画」の世界で、どんな一流監督がメガホンを撮ろうとも、製作費に何十億円をかけようとも、あるいはハンディカメラ1台で撮影しようとも、鑑賞料は1800円程度で変わりがない。ある意味、非常に公平で、またある意味で極めて不公平な世界でもあるといえる。
そんな公平かつ不公平な世界であるからこそ、作り手にはいくらでもその価値を高めることが許されているのである。
映画界の巨匠・黒澤明監督は、名画『七人の侍』を作る際、「ステーキの上にうなぎのかば焼きを乗せ、カレーをぶち込んだような、もう勘弁、腹いっぱいという映画を作ろうと思い、制作した」と述べたそうだ。
今回の『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』を編集する時、念頭に置いたのもその言葉だった。人はいかに生きるべきかを42年間追求し、1万本以上の取材を行ってきた『致知』の中から、特に印象に残る話を選び抜けば、質量ともに比類なき書籍が生まれるはずだという確信があった。
だが実際に始めてみると、365篇の山は想像以上に高かった。
42年の雑誌『致知』の歴史と、編集部員の総力で製作に1年半
私自身ももともと『致知』の編集部員として入社から10年間は取材・執筆に当たってきたため、直接伺った印象深い話が山のようにある。しかしそれらの話を洗いざらい出してみたところで、その数はやっと180本。半数にも満たぬ現実に愕然とした。
だが一度決めたことを、こんなところで諦める訳にはいかない。毎月の書籍刊行に追われながらも、早朝と深夜、休日には自由に使える時間がある。1日1本、これはという記事を探し出せれば、あと半年で完成できる。そしてひたすら書籍の完成を夢見、来る日も来る日もバックナンバーを読み込み続けた。
半年後、手元に集めた380本の記事。その膨大な原稿の束を初めて編集長に見せて「この数は凄いが、まだ考え直したほうがよい話が50本ほどある」と言われた時はさすがに愕然としたが、同時に、他の編集部員にも助けを求めるように指示があった。また、創刊から40年以上編集長を務めてきた本書の監修者である藤尾からも、入れるべき記事の提案が多数あった。
編集部全員におのおの心に残った記事を挙げてもらったことで、飛躍的に中身が濃密になった。その選定作業は言うまでもなく、『致知』42年に及ぶ歴史があってこそ成し得たものだった。
そして半年後。選り抜いた365篇を確定した時は、着想時から季節がひと巡りし、1年半の月日が経っていた。