葬儀会社から急かされながらの決断

――それが、どれだけご遺族にとってつらいことなのか。まだ20歳ちょっとのぼくには、「わかる」とはとても言えませんでした。

ただ、座るのもやっとの状態のご家族の姿を見ているのは、ほんとうにつらかった。できるだけ長い間、できるだけ後悔しないよう、最後の時間を過ごしてほしいと心から思いました。奥さまと娘さんが枕元にぴったりと寄り添っているあいだ、部屋の換気に気をつけながら、ただじっと待つことしかできなかったのです。

しばらくすると葬儀会社の担当者から、「そろそろ納棺をはじめてくれないか」と急かされます。そこで「ご遺体に布を巻かないといけない」旨を説明しにいったのですが……それを聞いた奥さまは小さい声で、「無理です」と首を振る。

「もうすこしだけ、時間をください」

その、かなしみにつぶされないようぎりぎりで耐えている表情を見て、ぼくはそれ以上たたみかけることはできなかった。「……わかりました」とだけ返しました。

プロの納棺師としてあってはならないこと

しかし、葬儀会社にはタイムスケジュールがあり、納棺師もそれに従って進行しなければなりません。お坊さんが来る時間も決まっているし、葬儀場の予定もある。当時はぼく自身も一日に3~4現場の納棺を手がけていたため、うしろの予定も詰まっていました。

そうでなくとも、納棺師にとって、発注側である葬儀会社のオーダーは「絶対」です。ですから、ぼくの「わかりました」という返事も、「もうすこし待つ」という選択も、プロの納棺師としてはあってはならないものでした。これはクレーム必至だぞ、まずいぞ、と頭ではわかっていた。

さらに個人的な話で言えば、ぼくは納棺師として順風満帆なキャリアを歩んでいました。父が興した会社に納棺師2世として入り、スキルも自信も身についてきた時期。手際もよく、一件あたりにかける時間も短かったため「より多くの現場を任せられる」と葬儀会社から重宝されている自覚もありました。

つまり、ご遺族に情をうつしてひとつの現場に長くいつづけることは、それまで積み上げてきた信頼やキャリアを失うこととイコールだったわけです。

それでもぼくは亡くなった夫、父親に語りかける3人のか細い声を耳にして、身動きが取れませんでした。葬儀会社の担当者は、ややいらついたように「通夜の時間も迫っている、早くしてほしい」と何度もせっついてきます。

「すみません」と答えつつも、「では、そろそろ……」と切り上げることができずにいました。

いったい何のために仕事をしているのだろう

このときぼくは、完全に混乱していました。なにを優先して、なにを守るべきなのかが、わからなくなってしまったのです。

ぼくにとって納棺はあくまで仕事で、葬儀社はクライアント。外注されている身として、クレームを起こすわけにはいかない。自分のキャリアや成果を優先したら、「もう時間ですから」とさっさとはじめるべきだったでしょう。

けれど目の前には、昨日までふつうに笑っていた夫と、昨日までいつもどおり優しかった父とのお別れを、受け入れられずにいる家族がいるわけです。

無理やり引っぺがすことが正しいのか?
彼女たちの未来にとって、それはいい選択なのか?
いったいぼくは、なんのために仕事をしているんだろう?

それまでもたくさんの死と向き合ってきたつもりでしたが、ここまで揺さぶられるような強い葛藤ははじめてでした。