文科省の指導要領が
駄目ビジネスマンを拡大再生産する!

しかし戦後第一世代の染色体が完全に途絶えてしまったのかといえば、そうではないと思っている。文科省の指導要領の下で中学、高校、大学を出て就職するパターンでは超三流の人材しか輩出されてこない。だが、文科省が敷いたレールから外れる分野には人材がゴロゴロいる。

たとえばスポーツの世界。メジャーリーガーのイチローや、若手ではゴルフの石川遼やテニスの錦織圭、アイススケートの浅田真央らがそうだ。彼らは文科省の指導要領のない世界に自ら飛び込み、個人的なコーチの指導を受けて世界と対等に戦える一流のアスリートになった。

音楽の世界にも文科省の傘下から外れた英才教育の場がある。たとえばモーツァルトやベートーベンの再来を夢見て川上源一さんが創設したヤマハ音楽振興会が主催するJOC(ジュニア・オリジナル・コンサート)は、上原彩子のような煌めく才能を数多く輩出している。スズキ・メソードバイオリン教室、桐朋学園なども弦楽器のタレント量産工場である。世界のオーケストラで日本人の弦楽器奏者がいないところはほとんどない、と言っても過言ではない。

料理人もそうだ。最近はフランス全体のミシュランの星の数を、東京・山手線の内側だけで抜いたと言われるくらいだからいささかインフレ気味だが、こちらの世界にも優れた日本人が数多くいる。またマンガやアニメ、ゲームなどのサブカルチャー分野でも、驚くべき才能を持った日本人がたくさんいる。

いずれの分野でも共通しているのは、文科省の指導要領から外れた、偏差値に毒されていない、世界であること。要するに文科省のヘッドギアを被らない世界では、豊かな才能と個性が育っているのだ。そこにはマスターズ優勝を狙っている若きゴルファーもいれば、チャイコフスキーやショパンコンクールで世界一になろうという音楽家もいる。また弱冠20歳ながら、どこに行っても聴衆を唸らせる五嶋龍のような才能も育っている。

文科省の指導要領の何がいけないかといえば、教える内容と順番が画一的に決まっていることだ。最良の教え方というのは一人一人違っているはずである。JOCのような英才教育の場では絶対にそういう教え方はしない。この子に一番合っている曲は何か、練習法は何かを必ずテーラーメードする。

デンマークやフィンランドなどがやっている北欧式教育は、まさにそれだ。デンマークでは答えのない21世紀の教育にはなじまないと、今から15年ほど前に「teach(教えるのが先生)」という概念を教室から追放した。25人の生徒がいたら、25通りの答えがあっていい。皆で議論して、1つの意見が正しいと思ったら、それをやってみる。その過程でリーダーシップとチームワークとやる気を習得していく。その習得を手伝う人が先生であり、彼らは「Teacher」ではなく、「Facilitator」と呼ばれている。

世界を相手にリーダーとして活躍できるような人材を育てなければ北欧のような小国は食べていけない――。戦後第一世代の発想そのままの手探りの教育、鋳型にはめない教育、すべての人が夢を追求するような教育、が北欧では行われている。日本の教育もそういう方向に変わっていかなければ、気概やアンビションを持ったエネルギー溢れるビジネスマンは出てこないだろう。

(小川 剛=構成)