8月17日、ロシア危機発生。ルーブル相場が4分の1に下落した。製品価格は4倍に上がる。ここで値下げに走ればブランド価値を毀損する恐れがあった。マネーかブランドか。筒井は値下げを踏みとどまる。売り上げは激減。「1ビリオン」は夢と消え、域内シェア1位の座もサムスンに奪われ、無念の涙を流した。
状況は一変し、ロシアが別の顔を見せ始めた。電話がかかる。「お前の女房は今、子供とデパートにいるぞ」。取引先の経営者の中には売掛金の支払いを逃れようと、たちの悪い連中を使って筒井の家族をつけ回させ、脅迫まがいのことをするものもいた。子供は7歳と4歳の女の子。怯んだら負けだ。「頼む。僕の妻子を守ってくれ」。家族には一切を伏せて、社用車を使うよう指示し、ロシア人運転手に身の安全を託した。一歩も退かないソニー陣営に脅しは通じなかった。
状況が悪化したロシアに駐在員を業務命令でとどめておくわけにもいかない。「帰任したいものは申し出てくれ」。10人が帰国し、6人が残った。「僕は筒井さんと最後まで残ります」。その中にマーケティング担当の日比もいた。
1ビリオン達成には最強の駐在員が必要だ
2人の出会いは運命的だった。筒井はロシア赴任の前、ソニーが開発したMD(ミニディスク)の海外展開のため世界中を回ったことがあった。メキシコにガッツのある若い駐在員がいた。日焼けした笑顔。強く引かれるものがあった。
「こいつは現場をよく知っているな」
目に狂いはなかった。日比は学生時代、空手に没頭し、卒業旅行でインド各地の道場を1カ月行脚した体力派だ。初の任地メキシコでは運転手兼雑用係からスタート。営業をやりたい一心で朝一番に出社し、前日の売り上げと在庫を調べ、社長の机の上に置いてアピールを続けた。晴れて営業職になると全32州を回り販路を開拓。スペイン語も現場で覚えた。
「あいつを呼ぼう。1ビリオン達成には最強の駐在員が必要だ」
ロシア着任早々、筒井はハワイで開かれた会議で日比を口説いた。「500ミリオン市場を任す。黙ってきてくれ」。筒井も学生時代、柔道選手。武道家は強敵相手でも逃げないと知っていた。
ところが、経済危機が“強敵”の意味を変えてしまう。日比がモスクワ空港に降り立ったのは98年末。メキシコシティを出発時に23度あった気温がモスクワでは同じ数字にマイナスがついていた。暗く寒い空港。根が明るい日比もこの先を暗示しているように思えた。