栄枯盛衰を知り尽くした街だからこそ
古都・京都は、いくども逆境に直面し、そのたびに跳ね除け、変化し続けてきた。それゆえ、「栄枯盛衰」というが、かつての都が滅びてく中で埋没せず今日の地位を築いてきた。
政(まつりごと)の実権が江戸へ移ったとき然り、明治政府誕生の折然り、伝統産業の衰退然り、それでも、そのたびに変化を繰り返し、生き残ってきた。そのDNAは変わらない。
任天堂という、花札とトランプの製造会社は世界的ゲームメーカーへ変貌を遂げた。はかりメーカー最大手のイシダも、もともと天秤はかりを作っていた会社だ。島津製作所の創業者・島津源蔵は、家業の仏具製造から転身し今日の医療機器メーカーの礎を作り、GSユアサ経営統合前の旧GS(日本電池)は、そこからさらに独立した企業だ。
また京セラや村田製作所は、京都の伝統産業、清水焼の燃焼技術や成型技術を参考に事業を拡大したと言われている。温故知新を繰り返し、常に過去から学び、変化し生き残ってきた。
京都に、傳來工房という平安時代初期から続く名門企業がある。社名の由来は、弘法大師が大陸から鋳造技術を持ち帰ったことにあるという1200年企業だ。京都にはそんな企業がゴロゴロ存在している。
創業100年以上の老舗企業が日本一多い京都は、保守的で閉鎖的なところがある一方で、変化に敏感で、新しいもん好きでもある。だからこそ、多くの戦火や動乱の時代を乗り越え生き残ってきたのかもしれない。
では、この逆境をいかにして乗り越え、進化するか──。
稲盛和夫氏の「希望の教え」
今、日本は苦境の真っただ中にあってもがき苦しんでいる。京都が生んだ経営の神様・稲盛和夫氏は、かつてこう言った。
「苦労や試練に遭ったときには、むしろ幸運と思いなさい。自分が幸運だったのは、苦労をせざるを得ないような状況に追い込まれたことだった」
「最悪の場合でさえも明るさを失わず、明日に希望を持つように努力することはできるのです」
そんな彼の言葉は、今のわれわれの心にずしんと響くのではないだろうか。
幾多の災害、ピンチを乗り越えてきたのが日本人ではなかったか。全国の人々と一緒に、この逆境を乗り越えていきたい。それがいち京都人である、筆者の思いである。