「ユニクロの価格設定はまさに衝撃的だった」

「PBが売れると思ったのは、00年。ユニクロが台頭してきた頃です」

茂原さんは当時、家庭用品事業部長だった。「PBだけを扱い、お客さんが値段を見なくても財布のあり金で買えるユニクロの価格設定は衝撃的だった」と振り返る。

カインズと茂原さんもPBへの取り組みを本格化する。当初は「手探り状態」、売れ筋NBのコピーが主だったという。しかし、その後は“安かろう悪かろう”というイメージを品質向上やブランド化、商品のカラーリングなど様々な工夫で払拭した。

「コンセプトは、マス化とコーディネート。この2つを実現すれば、他社には負けません。他との差別化に繋がるのはコーディネートです。でも、メーカーは縦割り社会だから、それが難しい」

例えば、トイレのカバーやマットを扱うメーカーはタオルをつくっていない。トイレの内装の企画を立てると、タオルは別買い。コーディネートが難しくなる。

「そこをプロデュースしてつくっていくと売れる商品になる。流通でなければ、価格のコーディネートはできません」

こうした価格の決定権を巡る“闘争”は、メーカーと流通との間で長きにわたって繰り返されてきた。PBはいわばこの“闘争”の産物だといえよう。

「PBは価格設定が一番大切。まずプライスのレンジ(範囲)を決めて、その中で商品をどう構成していくかということが問題です」

設定の基準はズバリ、「いくらなら一番たくさん売れるか」。まず価格ありきで、つくり手の事情はひとまず二の次である。