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「新自由主義」が支持された背景に80年代の特殊事情あり

新自由主義は、一般には1980年代のサッチャリズム(サッチャー英首相によって推進された経済政策)の文脈で理解されている。第二次大戦後、ケインズ主義的な経済政策で財政負担を増大させてきたイギリスは、オイルショックが到来した70年代に深刻な財政危機に陥った。

サッチャー政権は、国有企業の民営化、金融の規制緩和、税制改革などを断行し、その結果、イギリスは戦後長らく続いた経済停滞から脱却した。サッチャー改革は世界各国に多大な影響を与え、アメリカでは時のレーガン政権が税制改革と規制緩和を柱とする経済改革を実施した。日本でも中曽根康弘政権において国鉄、電電公社の民営化が行われた。こうしたサッチャリズムやレーガン改革の理論的なバックグラウンドになったのが、ミルトン・フリードマンやフリードリッヒ・A・ハイエクに代表される新自由主義といわれる。

フリードマンとハイエクは自由主義を世界に啓蒙することを目的とした経済学者の国際学会であるモンペルラン・ソサエティ(Mont Pelerin Society)の重要なメンバーで、共にノーベル経済学賞を受賞しているが、両者のスタンスは異なる。

フリードマンの経済学者としての業績は「貨幣数量説(Quantity theory of money)」にある。通貨を発行しているのは政府である。貨幣数量を重視するフリードマンは、政府の経済活動に対する有効性を認めているわけで、それは自由主義の精神に反することになる。フリードマンはむしろ「自由主義」のグループでは統制的な経済学者と位置づけられることもあった。

主著である『資本主義と自由』(75年出版)にしても、経済学者から見れば当たり前の内容で、自由主義者として特に過激な個所はない。この本の中で私が最も重要だと思っているのは、政治的な民主主義と市場経済は分かちがたく結びついているという主張であり、そこには「中国のような経済はありえない」という政治的なメッセージが込められている。

※すべて雑誌掲載当時

(構成=小川 剛)