ここで言う「致命的なミス」は二つある。一つは台韓中勢が攻勢をかけ始めた中で工場を建設したこと。ただ、これは情状酌量の余地があるだろう。ライバルが力勝負に出てきているのに、指をくわえているだけでは埋没することが目に見えている。

もう一つのミスは建設する工場で高精細な低温ポリシリコン(LTPS)の液晶パネルを生産しようとしたことだ。映像の美しさという観点でいうと当時は最先端の技術ではあったが、より美しい有機ELのパネルが商品化されることは時間の問題と言われていた。それにもかかわらず、LTPS液晶の量産に乗り出そうとしたのだ。

しかもLTPSはJDIしか持っていない技術ではなく、ライバルも実用化を進めていたものである。スタートダッシュは効くかもしれないが、いずれ追いつかれることが分かっていた。資金力でいえばライバルが上。陳腐な表現だが、技術の向上で戦略や戦術が大きく変わっているのに、時代遅れの戦艦大和を造ろうとしたわけだ。

なぜ専門外の人物をトップに据えたのか

むろんJDIはあてもなくLTPS液晶を量産しようとしたわけではない。売り上げの多くを依存する米アップルとの取引が見込めたからである。当時の契約の詳細は判然としないが、関係者の話を総合すると、アップルがiPhone向けにLTPS液晶の量産を要請、JDIは巨額の前受金をアップルから受け取って新工場建設に乗り出したが、肝心のiPhoneの需要が思ったほどに伸びず、それが引き金となってJDIの経営難が続くことになったようだ。

このような経緯を踏まえると、JDIが漂流することになったのはアップルに振り回されたからということになるが、だからといってJDIには責任がなかったとはならない。市場環境の変化を経営が完全に読み誤ったのだから。

JDIを存続の瀬戸際にまで追い詰めた白山工場(石川県白山市)の建設に乗り出した時の会長兼CEO(最高経営責任者)は元三洋電機副社長の本間充氏。旧三洋では電池事業のトップに就いていた人物で、液晶パネルは門外漢の人物だった。

JDIにとって肝心な時に門外漢を経営トップに招いたのは経産省だった。なぜ本間氏だったのか。それは経産省が当時、もう一つの業界再編を目論んでいたからだった。自動車向けリチウムイオン電池だ。

本当なら「日の丸リチウム」を率いるはずだった

ソニーとNEC、日産自動車はEV(電気自動車)の動力であるリチウムイオン電池事業を持て余していた。そこで各社の事業を一つにまとめ、革新機構が出資する「日の丸リチウム」の設立を企図した。元三洋の本間氏はそのトップに就く予定だったのである。

ところがソニーが突然、「電池事業は自前で手掛ける」と方針を転換。経産省が描いた青写真は幻となり、本間氏は行き場を失った。経産省は本間氏に借りを作ったと思ったのだろう。同氏をJDIに横滑りさせた。そんな人物がトップだった時に巨額投資は決まったのである。