疑獄事件への関与が疑われ、常に特捜部の標的だった

中曽根氏は疑獄事件でも、その関与が取りざたされ、東京地検特捜部も長い間、標的にしてきた。大きな「罪」である。

古くは殖産住宅事件、大型の贈収賄事件ではロッキード・グラマン事件、そしてリクルート事件のNTTルートである。ロッキード事件では国会で証人喚問まで受けている。

中曽根氏のすごいところは、事件の捜査の先に名前が出ても、矛先を向けられても、決して塀の上から落ちることはなかった。生涯、塀の上を歩き通した。

中曽根氏と対照的なのは、ロッキード事件で逮捕された田中角栄元首相だろう。

中曽根氏は防衛庁長官も務めただけに、軍用機を製造して日本にも軍用機を売っていたアメリカのロッキード社やグラマン社の幹部とも大物フィクサーを通じての深い交流があった。

しかし、逮捕されたのは田中氏の方だった。中曽根氏と田中氏は、1947年の初当選の同期組で、生まれたのも同じ1918年の5月だった。

「巨星」「導きの星」と崇拝の語句を並べる読売の持ち上げ方

いつものように社説を読み比べる前に、新聞の評伝を少しのぞいてみたい。

まずは11月30日付の読売新聞の「中曽根元首相死去 国家背負った『生涯一書生』」との見出しが付いた評伝。書き手は特別編集委員の橋本五郎氏である。

書き出しから中曽根氏を大きく持ち上げる。

「まさに『巨星墜(お)つ』の感慨を禁じ得ない。政治の世界に身を置く者にとって導きの星であり、政治とは何かを考えるにあたって、中曽根さんの思想と行動は大事な指針だった」

「巨星」「導きの星」「大事な指針」と、崇拝の語句を並べるところなど保守の雄、読売新聞といったところである。

評伝後半にある次の藤波孝生氏の逸話も表面的だ。

「強烈なまでの使命感の背後には、絶えざる勉強の日々があった。中曽根内閣の官房長官を務めた故藤波孝生さんは中曽根さんを『生涯一書生』と呼んだ。その姿は終生変わることがなかった」

リクルート事件で藤波氏は起訴され、中曽根氏は自分の一番の側近だった藤波氏を切った。藤波氏は中曽根氏の身代わりになった。これがあのころのマスコミの見方だった。

藤波氏も中曽根氏も鬼籍に入ってしまい、真相はすべて藪の中である。読売の橋本氏にはその真相まではっきりと、書いてもらいたかった。橋本氏は中曽根氏と藤波氏の関係をよく知る新聞記者の一人だ。それだけに残念である。