首相になるためには手段を選ばぬ「風見鶏男」だった
1982年11月の首相就任後に中曽根氏は記者会見で己の政治姿勢をこう語っている。
「風見鶏と言われようが、とにかく首相になることが大事だと思ってやってきた」
風見鶏とは、建築物の屋根に取り付けられていたニワトリの形をした風向計のことだが、すぐに風の吹く方向に自分の向きを変えることから、周囲の情勢などによってクルクルと立場を変える人をたとえるようになった。日和見主義ともいう。
とくに中曽根氏の変わり身の早さは有名だった。中曽根氏の場合、首相になるという目的のためには手段を選ばなかった、と言い換えてもいいだろう。
「犬の遠ぼえでは政治は変えられない」といって寝返り
ここで中曽根氏の「罪」とも言える“風見鶏男”ぶりを挙げてみる。
河野一郎氏が1965年7月に急死する。河野氏はいまの防衛相、河野太郎氏の祖父で、朝日新聞の記者を経て副総理や自民党総務会長などを歴任した政治家である。NHKの大河ドラマ「いだてん」にも登場している。
この河野氏の急死後、集団指導体制の河野派が「佐藤栄作の自民党総裁再選」への対応をめぐって分裂する。中曽根氏は反佐藤派の「新政同志会」代表に推され、そのまま反佐藤派を貫くと思われた。
ところが、である。中曽根氏は佐藤派に寝返った。そして見事、1967年11月の第2次佐藤改造内閣で、運輸相として入閣した。
「犬の遠ぼえでは政治は変えられない。剣先の届く所に入って批判するのが政治だ」
中曽根氏は、佐藤派への寝返りを批判され、こう語った。まさに変わり身の早い“風見鶏男”だった。それ以降、中曽根氏は佐藤首相に傾倒し、防衛庁長官にも起用され、1971年には党三役のひとつ、総務会長に就いた。
だが、首相に就任すると、風の吹く方向に自分の向きを変えるどころか、一度決断すると、最後までその姿勢を崩さず、「国益のためにどこまでもやる」と強いリーダーシップぶりを発揮した。