嫉妬と向き合った角栄と三島

こういう満たされない社会、あるいはマザコンなるものが叩かれる社会になってきたうえに、今は勝ち組と負け組に早く分かれてしまう時代。昔みたいに年功序列だったら、年を重ねたら俺も上にあがれると希望を持てたけど、20代や30代で早くも勝負がついちゃう世の中では、足を引っ張るエンヴィ型の嫉妬が生まれやすい印象を受けます。

第64、65代内閣総理大臣 田中角栄氏(時事通信フォト=写真)

そうした悪い嫉妬が渦巻くと、社会全体がよくない方向に行く。というのも、基本的に嫉妬なるものが世の中を動かしてきたことは間違いないからです。たとえば、嫉妬をうまく利用した偉人に、田中角栄と三島由紀夫がいます。

角栄は、高等小学校卒という学歴にある時期まで非常にコンプレックスを持っていました。日本では明治時代ごろから、首相になる人は在野の成功者ではなく圧倒的に官僚出身者が多かった。彼は若くして代議士になったけど、将来首相になることはできないだろうという状況にいたわけです。

だから、能力が低いのにいい大学を出ているというだけで偉そうにしているやつらを妬んだり、ロッキード事件で自分は逮捕されたのにエリートたちは罪を免れたことを面白く思わなかったりしました。

でも、角栄は自身が嫉妬深かったからこそ、他人からの嫉妬の扱い方もうまく、嫉妬心を政治にうまく利用したのです。角栄は学歴がないのに20代で国会議員になった人ですから、他人から嫉妬を受けることも多かったんです。

そこで、ある時期までは最終学歴を「中央工学校卒」(専門学校。角栄は高等小学校卒業後、専門学校を卒業した)としていたのを、ある時期からあえて「高等小学校卒」と名乗るようになります。要するに、そうしたほうが変な嫉妬を買わないということを、処世術的に身に付けたんですよね。

三島由紀夫も、「嫉妬こそ生きる力だ」という言葉を残すほど嫉妬と縁の深い人生でした。

三島はいい家柄に生まれ東大法学部を出て、さらには20代から大作家になるわけですから、嫉妬される立場の塊みたいな人なんですよ。でも、体が小さいことがすごくコンプレックスだった。「俺ほどの天才大作家を、周りはチビだとバカにしている」と一人相撲的に周りに嫉妬していたんです。