00年6月、1本の電話が春子さんの父の死を知らせてきた。日ごろから血圧が高く、不整脈もあった父が心筋梗塞を起こして倒れ、病院に運ばれたときには手遅れだったという。

父の突然の死を受け入れ、ようやく気持ちが落ち着いたのは葬儀が終わってからのことだった。父の死に直面して、何もできなかった自分の無力感に打ちのめされた。


要介護度の認定区分/介護保険の申請から利用まで

ところが、その2カ月後に、今度は義理の父が、脳梗塞で倒れたという知らせが届いた。この日を境に、加藤さん夫妻の、先のまったく見えない「介護」との戦いが始まったのである。

義父の介護が3年経過した03年、春子さんの母親が認知症に。義父を看取ったのは04年、実母は06年に亡くなった。その直後、今回見送った義母が末期癌であることが発覚した。春子さんの父親が亡くなってから8年間、加藤家はずっと介護状態の老親を抱えたままの生活が続いたことになる。

加藤家に起こったことは、あくまでひとつの事例にすぎない。しかし、要介護者を抱えた家族の抱え込むであろういくつもの問題を、この家族が体験した8年間を紐解くことで理解することができる。

「もう少しだけ早く亡くなってくれたら、私はあなたのために素直に涙を流すことができた」と心の中でつぶやいた春子さんの心情が、高齢者介護の現実を物語っている。

脳梗塞で倒れた義父の病状が安定したとき、退院後、誰がどこで世話するのかが大きな問題となって家族に突きつけられた。退院の日が近づくにつれて、親族の誰が口火を切って話をするのか、無言の駆け引きは始まっていた。