介護施設で働き、団地では自治会長を務める
判決から1年半が過ぎた2018年5月、記者は女性を訪ねた。取材後も続いた手紙のやりとりで、近所の介護施設で洗濯や掃除のパートをしていること、住んでいる団地の棟の自治会長に選ばれたことなどを知らされていた。
古びた団地の2階に上がり、呼び鈴を押すと、元気な返事が聞こえた。髪を短くし、少しだけふくよかになったように見える。室内には家具がほとんどなく、ラジオの音が小さく流れていた。
「今は仕事が楽しい」。この日は休みだという女性は笑顔で話し始めた。求人広告で見つけた介護施設での仕事は、食器洗いやシーツの洗濯、入所者の水分補給のための湯沸かし、共有スペースの窓ふきなど。平日は午前9時から働き、夕方、帰宅する頃にはくたくたになるが、「忙しい方が、過去を思い悩まずに済む」という。
利用者とは掃除の際にすれ違うくらい。それでも、「みんな私をかわいがってくれる」といい、話し相手にもなる。気がかりなのは、家族がほとんど会いに来ず、寂しそうにしている人がいることだ。女性は、自身の経験から、家族が追い詰められるまで無理をして自宅で介護する必要はないと考えているが、預けっぱなしにする家族にも首をかしげてしまう。自宅でも施設でも、介護する側もされる側も、家族の思いやりのない対応が一番、本人をつらくさせるのに。
孤立から救うのは「役立つ実感」と「ねぎらい」
自治会長として近所づきあいをする中にも葛藤はあるという。近所の認知症の高齢男性がたびたび徘徊し、付き添う家族の姿を見かけた。被告人質問で、地域で高齢者を支えてほしいと訴えたが、今の自分にできるのは、「何かあったら言ってください」と声をかけることくらいだ。かつて自身がそうだったように、要介護者がいることを「家の恥」と考える家族に周囲が関わっていくのは、やはり難しいのだと感じる。
それでも女性は「精いっぱい人の役に立ちたい」と前向きに語った。自分に介護が必要な状態になった時のことを考えると不安だが、それまでは少しでも介護の現場で働くことが、償いにもなると思うからだという。
記者が話を聞いている間、女性の携帯電話に介護施設から何度もメールが届いた。利用者の状況を職員にメールで知らせているのだという。「あの人、今日もお風呂に入りたくないと、ごねたのね」。そう言って、ほほえんだ。
介護する人の孤立感を和らげるのは、自分が役に立てているのだという実感と周囲のねぎらいなのだろう。女性の笑顔は、そのことを物語っているように見えた。