みずから望んだ観光大使
逆風にもくじけず、「10年続けること」を目標にしてきたという西川さん。その決意を支えたのは“美しき郷土愛”だけではないようだ。
実は、西川さんの家は、父親が県の元職員、母方の祖父が元警察官という公務員一家である。「音楽で身を立てたい」と打ち明けたとき、両親は強く反対した。だが、本人の意志は固く、高校を中退し、17歳で家を出たのである。
「まったく理解してもらえなくて、激怒した親父に羽交い絞めにされました。でも、今思えば、当たり前のこと。あの頃、あんな田舎から、音楽で成功する人間が出るなんて、考えられなかった。もし自分が親の立場なら、同じように反対したと思います。公務員の家に育ったのに、まったく畑違いの世界に身を置いてきましたが、観光大使や『イナズマ』をやることで、ようやく家族と同じように、地域の皆さんのために働くことができたように思います」
もともと観光大使就任も、西川さん自身が望んだこと。長男なのに、家のことや両親のことを妹たちに任せっきりにしているのがうしろめたく、「忙しくても、堂々と滋賀に帰ることができる仕事」を持ちたかったのだという。
そして、その選択は両親を喜ばせた。
「イナズマ」の開催が決まると、父親は県庁に日参し、「うちの息子が、こんなイベントをやることになったんや」と、うれしそうに後輩たちに自慢したとか。
また、フェス本番には、甥や姪も含め、家族全員で駆けつけた。「息子の仕事場に、汚いかっこして行ったらあかん」と、両親は正装をして、息子の晴れ姿を見守ったという。
17歳で故郷を離れてから20余年。38歳で「滋賀ふるさと観光大使」に就任した西川さん。親の期待に背き、公務員の道を選ばなかった長男の親を想う気持ちが、“熱心すぎる観光大使”を生んだのである。