小沢氏の代表就任を招いた「民由合併」とそっくり

小沢氏は会見で意見を求められると「私は大した能力がありませんので、玉木代表のもとで命じられたことを一生懸命やりたい」と殊勝に語った。この光景は、16年前の「民由合併」の時とそっくりに見えた。

2003年、党勢が低迷していた民主党の菅直人代表は、小沢氏が率いる自由党との合併を決断する。その時も党名は民主党のままで自由党を吸収する形だった。そして小沢氏は自ら「一兵卒」宣言し、無役として民主党に加わった。

ところが、いざ合併してみると、小沢氏の存在感は絶大で瞬く間に実権を握り、3年後の2006年には自ら代表に上り詰めた。

自らポストを求めず背後でトップを操り、いつの間にか権力を握る手法を得意とする小沢氏。永田町関係者の間ではその記憶が鮮明だけに、玉木氏を小沢氏が操る政党という受け止めにしかならない。今回は「小が玉をのんだ」ということか。

6人増えたが4人マイナスで「差し引き2増」の恐れ

それにしても、この合併は何の意味があるのだろうか。先ほど自由党から国民民主党に加わる人数は6人と書いた。わずか6人である。

一方、国民民主党内で自由党との合流に反対した議員は4人いた。特に小沢氏と同じ岩手県を地元に持ち、今は小沢氏と反目している階猛(しな・たけし)衆院議員は、合併反対の急先鋒。合併が決まった後、離党するかどうか聞かれると「コメントは差し控える。仲間の意見を聞いて最終的な結論を出す」と答えている。暗に離党する可能性を認める発言だ。

もし、4人が抜けたら差し引きで国民民主党は2人増えるだけだ。そのために、これだけの精力を使い果たすのはあまりにも効率が悪い。

離党者が出れば党のイメージはダウンするので、差し引きマイナスになるかもしれない。支持率が1パーセントに達するかどうかだった2つの政党の合併は、マスコミの注目度も高くないので、好感度が上がるとも思えない。小沢氏は「政界の壊し屋」との異名で知られる。今回の再編劇はまさにその異名を想起させる。