透析患者を救うには、現時点では腎臓移植しかない

腎不全の透析患者が肉体的、精神的な苦痛から抜け出すには、腎臓移植しか道はない。

公立福生病院は家族などから腎臓を譲り受ける生体腎移植や、公益社団法人・日本移植ネットワークを通じた心停止下あるいは脳死下のドナー(臓器提供者)からの腎移植について十分に説明していたのだろうか。

透析患者は右肩上がりで増え続け、現在で33万人以上にも上る。多くの透析患者を救うためには、ドナーを増やすことが欠かせない。しかしドナーが圧倒的に少ない。政府が臓器移植という医療に力を入れ、国を挙げてドナーを増やしていかなければ、この問題は解決しない。

延命治療を無意味なものとして中止する「ACP」

公立福生病院の透析中止の判断には「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」という概念が強く影響したはずである。ACPとは人生の最終段階、つまり終末期において患者が望む医療を進めるプロセスを指す。

2006年3月に富山県射水市の射水市民病院で発覚した、外科医が末期のがん患者ら7人の人工呼吸器を取り外して死亡させた事件をきっかけに厚生労働省が終末期医療の在り方を検討し、その過程でACPの概念が生まれた。

ACPは「体が死のうとしているのに生命維持装置を使って無理に引き留めている。死を望ましい形で迎えさせてあげたい」という考え方、つまり死が迫る終末期において延命治療を無意味なものとして中止し、人間としての尊厳を保ちながら自然な死を迎える「尊厳死」と同じ立場に立つ。

透析中止は尊厳死やACPを都合よく判断した結果

延命治療とは薬物の投与、化学療法、輸血、輸液のほか、人工呼吸器の装着による人工呼吸や、おなかに穴を開けて栄養剤を胃に送る胃ろうなどが挙げられる。もちろん透析装置にかけて血液から老廃物を取り除く人工透析も延命治療のひとつだ。

尊厳死もACPも、患者本人の意思を重視している。厚労省の「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」(昨年3月改定)には「患者本人の意思は変化し得るもので、本人との話し合いが繰り返し行われることが重要である」と明記されている。

東京都の改善指導で「患者への説明が不十分だ」と指摘していたが、確かに公立福生病院は患者の意思の確認が十分でなかった。

沙鴎一歩には、公立福生病院が尊厳死やACPを自分勝手に都合よく判断していたように思えてならない。