トップダウン型の政権選択の大前提「二大政党制」

かつての政治システムは、権限と責任が不明確で、有権者の意思によって政治行政が動く仕組みではなかった。有権者が選挙でどのような意思を表示しようとも、有力な自民党支援者の声や霞が関の省益を重視した政治行政が進められていく。そして誰がリーダーであっても変わらないという諦めを有権者は抱くようになる。

まあ、これは高度成長時代において、皆で利益を配分することが中心だった政治には向いているシステムだったのかもしれない。有権者の意思よりも、利害の調整重視。

しかし今の時代は、これまでやってきたことの見直しが強く求められる。時には国民に負担を求めることもしなければならない。激動する世界情勢の中で、日本の方針を明確に示し、それを迅速、的確に実行していくことが必要となる。このような場合には、リーダーによるトップダウン型のマネジメントの方が、ボトムアップ型よりも重要になってくる。ゆえに今のような官邸が力を持つ政治システムが向いている。

このようなシステムを支えるために、どうしても必要なのが二大政党制だ。政権交代可能な選挙制度であり、与野党がしっかりと「選挙の顔」を作って、党の方針を国民に示す。そして有権者が選挙で選択する。有権者は、党のリーダーが国のリーダーになることを前提として各国会議員に投票する。つまり現在の制度においては、有権者は各国会議員を選んでいるだけではない。国のリーダーも事実上、選んでいる。この有権者の選択を最大限に尊重することが民主主義そのものだ。

(略)

日本維新の会は国会議員でない僕が代表を務める政党だった。だから国政選挙のときには、もし維新の会が勝てば、誰を首相にするのかをしっかり示さなければならなかった。ゆえに石原慎太郎さんや松野頼久さんなどの国会議員を首相候補として国政選挙を戦った。

この点、不透明だったのが小池百合子東京都知事が率いた希望の党だ。当時の民進党代表の前原誠司さんと小池さんは希望の党を結成して、昨年9月の衆議院議員総選挙に臨んだんだけど、そのときに誰が首相候補になるのか最後まであいまいだった。

(略)

有権者としては、これは政権を選択する選挙なのか、とりあえず自民党に対峙できる野党の芽を作るだけの選挙なのか分からなかった。これが一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだった小池さんや希望の党が一気に失速した主たる原因だったと思う。

(略)

政党は、国政選挙において、党のリーダーをしっかりと示し、この人物が国のリーダーになることを示して、選挙に挑むべきだ。

そして有権者は、国のリーダーを想定して、選挙で国会議員に一票を投じる。選挙後、多数党から選出された国のリーダーは、有権者の意思表示である選挙で敗れない限り、リーダーを続けるべきだ。

(略)