面接試験は面接官の印象に左右されるものだから、大学側が「この受験生を入学させたい」という魅力を感じれば、たとえ学力が足りなくても合格できる可能性がある。時には他人から見たら納得できない合格判定が下される場合だってあるだろう。
例えば、いい加減な受け答えに対して「高邁な人格がにじみ出ている」と感じる面接官や、だらしない服装であっても「格式張らない豊かな個性にあふれている」と評価する面接官がいたとしても、それを「不正」などと断定はできない。もしも、面接官が特定の受験生を「合格させたい」と考える背景に「受験生の父親の肩書」「大学トップの強い後押し」といった要素があったとしても、判断基準はあくまでも主観だ。他人がいくら「怪しい」と感じても、それまでになってしまうだろう。
昨今の「セクハラ」について、多くの男性諸君が理不尽だという思いを感じるのも、セクハラの有無が受け手側の「主観」によってなされているからではないだろうか。
18年4月、財務省の福田淳一事務次官(当時)が、テレビ朝日の記者に対して「胸触っていい?」「手縛っていい?」とセクハラ発言をして辞任した以外でも、霞が関ではこういった問題が起きている。
そのセクハラ行為をした職員は、停職1カ月の処分を受けた。それは当然の処分だと思うのだが、最近私が耳にしたいい加減なウワサ話では、実は、処分を受けた職員の前任者も同じ女性職員に対して日常的に「今日はどんな下着? 色は?」などと質問したり、体に触れたりしていたというのだ。
セクハラは前任者からの引き継ぎ事項だったのだろうか。しかし、被害を訴える女性にしてみれば、客観的事実は同じだとしても、体にふれていいかどうか、性的な発言をしていいかは個人間の暗黙の契約にもとづくもので、相手が代われば当然契約も変わってくるということなのだ。昭和の時代のドラマなどを見ると、ボンクラ課長役の人物が女性社員のお尻を平気で触り「キャッ、課長ったら!」みたいな反応を微笑ましいシーンかのように描いているが、そういう時代はもう終わったのだ。ビジネスマン諸君は心してかからねばならない!