野球を断念して猛勉強「難関・上智大学」に24歳で合格

帰国後、日本の独立リーグに入団したが、月収は15万円程度。アメリカ時代のケガも完治せず、1年足らずの2011年5月に自主退団。米国でも日本でも、得意の野球では食っていけないという現実にぶつかった。

野球選手のセカンドキャリアの構築は難しい問題だ。そのまま一般企業で働き出す人も多い。だが鷲谷さんは、ここから大きなキャリアチェンジを遂げる。自主退団から猛烈に受験勉強を始め、なんと半年後、上智大学の外国語学部英語学科の編入試験に合格し、24歳にして大学3年生となるのだ。

上智大学の編入試験は「英語」の筆記試験と面接だけ。ただし出願基準があり、英語学科の場合、「英検1級」「TOEFL 95点以上」「TOEIC 945点以上」などのうち、いずれかの基準をクリアしている必要がある。かなりの英語の熟達者でないと、出願自体ができない試験なのだ。

鷲谷さんは、野球を辞めてからの半年間、持ち前の体力と集中力によって、寝食を忘れるほどに英語に磨きをかけたという。「やるなら、頂点を目指す」。メジャーに挑戦したときの志は、まだ折れてはいなかった。

▼20年の野球漬けから一転、外資金融のシビアな世界へ
東京・大手町のビジネス街(イメージ)(写真=iStock.com/y-studio)

上智大学で主に履修したのは、会計・経済・金融系の科目だった。鷲谷さんは、野球選手は打率や防御率など試合ごと、数字に追われ数字で評価されるので、もともと計算を含めた数学が得意だったという。

入学から1年足らずの冬から「就活」が始まった。いろいろな職種を模索するなかで、目を付けたのが金融業界だった。

数字・数学が思いのほか得意だったこともある。だが、それだけではない。約20年間打ち込んだ「野球漬け」だった日々は、打つか打ち取られるか、勝つか負けるかの世界だ。それに似たような職種はないか。「外資金融の営業はイメージ通りでした」。一番早くに内定をもらった欧州系の銀行に決めた。

その銀行でのビジネスは順調そのもの。毎日が「シビアな勝負の世界」だったが、水が合った。昨年、3年半に及ぶ在籍期間の実績が認められ、ヘッドハンティングされる形で、現在勤務している会社に移った。