第2次世界大戦後、朝鮮半島は北緯38度線を境に北部をソ連軍に、南部をアメリカ軍に分割占領されることになりました。朝鮮半島が米ソ両勢力の最前衛線となっており、本来ならば、半島でアメリカに立ち向かわなければならないのはソ連でした。

しかし、ソ連のスターリンの関心は東ヨーロッパに向けられていました。スターリンはアジアに触手を伸ばせば、アメリカが黙っていないということを理解しており、アメリカとの直接対決を避けるためにも、アジアには関わりたくないと考えていたのです。

毛沢東の中国が建国されたことで、スターリンは非常に喜び、厄介な朝鮮半島問題を中国に丸投げすることができると考えました。1950年2月、中ソ友好同盟相互援助条約を締結し、スターリンは毛沢東を矢面に立たせるよう仕向けました。

金日成は嘘つきだと気づいていた毛沢東

北朝鮮の金日成が南進攻撃の承認を求めに、スターリンを訪問した時、スターリンは「中国が参戦するならば良い」という返事をしています。「中国と相談してくれ、自分は知らない」というのがスターリンの姿勢でした。

次に、金日成は中国を訪問して、中国参戦の承認を得ようとしました。毛沢東は朝鮮戦争に最初から積極介入しようとしていたとよく誤解されますが、実際には、この時、毛沢東は介入に慎重な姿勢を示しています。

金日成は「スターリンが南進を承認した」という嘘(うそ)を毛沢東に言っていましたが、中国は早々にモスクワに電報を打ち、ソ連の真意を確認していましたので、金日成の嘘を見抜き、信用できない相手だと思っていました。しかし、アメリカの脅威が半島で拡大することも見過ごせず、毛沢東は前述のように、「アメリカ軍が38度線を越えれば参戦する」と金日成に約束したのです。

こうして、金日成は条件を整え、1950年6月25日、韓国へ奇襲攻撃をかけ、朝鮮戦争を引き起こします。

アメリカ軍の北進はないという大誤算

アメリカが38度線を越えるかどうか、そこが毛沢東にとっても大きな賭けでした。毛沢東は「アメリカは越えないだろう」と予測していました。建国間もない中国がアメリカと事を構えるのはあまりにも危険であり、アメリカも無謀なことをしないだろうという希望的な予測が先行していたのです。しかし、マッカーサーは毛沢東の予測を見事に裏切ります。