スクープはカネがかかる割には売れない

文春は今回の無責任な批判にはビクともしないだろう。だが、心配がないわけではない。

一つは、文春が不倫スキャンダルに力を入れ過ぎていることである。不倫取材の一部始終を写真や動画のパッケージにして、ワイドショーに買わせるというビジネスが、文春の大きな収入源になってきている。

文春はワイドショーに売りやすいネタを優先することで、ワイドショーの「下請け」に成り下がってきているのではないか。そのことは、私だけではなく、心ある編集者やライターたちも心配している。

いま一つは、文春砲が毎週のように炸裂しながら、実売部数が減り続けていることだ。

42万7000部(2016年7月から12月、日本ABC協会公査。以下すべて同じ)あった部数が、37万2000部(2017年1月から6月)。半年で約5万5000部も落ちているのはただ事ではない。

『週刊現代』や『週刊ポスト』も、かつてはスクープを追いかけていた時代があった。だがスクープはカネがかかる割には売れないと、スクープ戦争から抜けていってしまった。

その中で踏みとどまっていた新潮と文春だが、新潮の実売部数は24万7000部で、健康雑誌と化した現代(26万4000部)の後塵を拝している。最近、文春や新潮で健康記事が多くなったのは、現代やポストに近づいている証左である。

くだらない情報も含めて丸ごと週刊誌

このままでは、文春の存在理由さえ揺らぎかねない。不倫報道ばかりやっている雑誌はつぶれてしまえ、というのは簡単だ。

だが、考えてほしい。国民の知る権利に体を張って応えている雑誌がなくなれば、情報も雑誌とともに消えてしまうということを。

昔『噂の真相』という雑誌があった。裏を取らない、真偽のわからない記事も載っていたが、私が毎号楽しみにしていたのは作家たちの情報であった。

女性関係あり、作家批判ありと、出版社が書けない作家たちの生態を伝えてくれる貴重な雑誌だった。同誌が休刊して、そうした作家たちの生の情報を読める雑誌は皆無になってしまった。

雑誌がなくなるということは、そういうことなのだ。くだらない情報も含めて丸ごと週刊誌である。批判するより応援すべき時だと、私は思う。

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