KCIAは金大中が野党指導者と、ホテルグランドパレス2212号室で8月8日に会うという情報を得ます。KCIAはあらかじめ、空室となっていた2210号室をはじめとする複数の客室を予約し、犯行に使います。まさに、KCIAによる計画犯罪でした。

しかし、ここで大きな疑問にぶつかります。KCIAはなぜ、金大中をわざわざ日本で暗殺しようとしたのでしょうか。失敗すれば国際問題になるのは明白です。

金大中は当時、民主運動家として国際的な名声を得てはいましたが、政権を運営したこともなければ、金泳三のような大きな派閥を持っていたわけでもありません。「反権力・反体制」だけが売りで、政治家としての実力は未知数でした。金大中が海外で何を言おうと、朴政権には痛くもかゆくもないわけで、放っておけば済む話です。どうしても金大中を亡き者にしたいのなら、何か口実でもでっちあげて強引に韓国に帰国させ、それからことを進めてもよかったはずです。

そうした部分も含め、国の情報機関が主導したにしては、全体にずさんさが目立つ計画でした。金東雲が現場に指紋を残した件もその一つですが、もしかすると事件後に口封じのために殺されるとでも考え、わざと自分の存在を示したのかもしれません。

目的は殺害か、それとも単なる拉致か

金大中は事件後も、大統領になった時も、この拉致事件についてあまり多くを語ろうとはしませんでした。表向きには、韓国政府に対する賠償請求などに発展するおそれがあるから、と説明しています。

偽装貨物船「龍金号」に乗せられた際、両足に錘を付けられ、海に投げ込まれるところだったという金大中の証言をもって、金大中事件は暗殺未遂事件とされています。一方で龍金号の乗組員は、金大中の言うような飛行機やヘリの接近はなかったと証言しており、それらの飛行を裏付ける資料も見つかっていません(*3)。真相調査委員会の報告書は、当初殺害案が議論されたことは事実としつつ、少なくとも拉致の実行または龍金号の日本到着以後は、拉致計画として進められたと結論づけています。