かっこ悪い話ならかっこ悪く、そして時間無制限で会見を

山尾さんは釈明の記者会見で、冒頭、党に迷惑をかけたこと、支援者の期待を裏切ったことなど、延々、自分の今のポジションを「公的に」支えてくれている人たちへの謝罪を行った。これは違うでしょ。

党関係者や山尾さんの支援者は、裏切られたという思いがあっても、精神的に傷つけられたわけではない。ここを山尾さんは理解していない。

最も傷ついているのは、相手男性の奥さんであり、その子供であり、そして自分の夫であり、自分の子供。山尾さんと旦那さんの間の夫婦関係はいろいろあるみたいなので、それを横に置いたとしても、相手男性の奥さん、子供、そして自分の子供の傷つき方は半端なものではない。まずはこの人たちに心からお詫びすべきであった。ところが山尾さんの会見では自分たちを「私的」に支えてくれている家族の存在が完全に抜けていた。

なぜ山尾さんは家族への謝罪を落としたのか。それは私的な話だから記者会見で言うべきではないと考えたのか。それとも今回の件で一番傷ついている者が誰なのかを見失ったのか。両方あるにせよ、僕は後者がより強いと感じたね。

また謝罪するときにかっこを付けても仕方がない。男女の関係があろうとなかろうと、今回報じられたことは、世間的にはかっこ悪いことには間違いない。そうであれば、かっこ悪さを前面に出した会見にしないといけないね。山尾さんの会見は、男女関係がないことを強調したあまり、最後の最後のギリギリのところでかっこを付けることにこだわった感がある。そこに世間はギャップを感じたのだろう。かっこ悪い話は、かっこ悪く会見をするしかない。こんなところでかっこつけても仕方がない。

男女の関係があろうとなかろうと、文春が報じた事実を基にすれば、家族内で怒られるのは当然だ。怒られてボロボロになっている素の姿を見せればいい。道徳的な立派さを政治家に求め、不倫問題でも政治家に制裁を加えたいと思っている多くの有権者であっても、家族から怒られているかっこ悪い政治家の姿を見れば、自分たちが成敗しなくてももう十分じゃないかという気持ちになってくれるかもしれない。こんなところでかっこつければ、世間は「何偉そうにしとんねん!」となる。

男女の関係があろうとなかろうと、あの報道事実によれば、妻として母親としてかっこ悪い話である。そうであれば、家族に対してかっこ悪いことをしてしまったという雰囲気になるはずなのに、あの山尾さんの会見を見る限りは、そんな雰囲気は全く感じなかった。子供を悲しませてしまった、迷惑をかけてしまったということからにじみ出た涙というよりも、不条理なことで党を追われることへの無念の涙という感じだった。

そして世間的に広がったピンチを挽回するには、最後は「記者会見」しかない。そこではメディアからの質問が途切れるまで、時間無制限で対応すべきだ。しかし、ピンチに陥った人の記者会見は、途中で打ち切ってしまう場合がほとんど。それでは不誠実さというダメージが広がってしまう。