同じように、劇中のさまざまなセリフも、終盤の意外な感動ポイントも、ラストのサプライズも、14年間にわたる過去作のエピソードや、登場したキャラクターの存在や言動を熟知していなければ、十全には味わえません。一見して、実に不親切な映画です。
不親切な映画だが、観客は気にしない
「パイレーツ」シリーズは、特に2作目以降の話が複雑怪奇なので、過去作を全部観た人でも、直近で復習しない限りはきっと忘れているでしょう。そういう人のために、本作公開前にはシリーズ4作品が4週連続でテレビ放映されていましたし、レンタルや配信もあります。
しかしこの忙しい現代社会、どれだけの人が4作全部で10時間以上あるシリーズを「復習」して『~最後の海賊』に挑んだでしょうか。ネットであらすじを探して読み、理解するだけでも一苦労です。筆者の見立てですが、おそらく過去作のストーリーを完全に把握したうえで『~最後の海賊』の劇場に足を運んだ人は、全体の半分もいないと思います。
そんな“不親切な映画”が、なぜ1位になれたのでしょうか? それは、この種の大衆娯楽映画のシリーズものに現代の多くの観客が求めているのが、「ストーリーの完全理解」ではなく「世界観に浸ること」だからです。
重要なのは「あの楽しげな感じ」
観客は、「パイレーツ」シリーズすべてに共通する「18世紀カリブ海の異国情緒」「さんさんと照り注ぐ太陽」「壮大な大海原」「威風堂々とした海賊船」「荒々しい男たちによるバトル」「ダイナミックな砲撃戦」「ワクワクする音楽」、そして「茶目っ気たっぷりの海賊王ジャック・スパロウ」といった魅力的な「要素」を求めて、新作が公開されるたびに劇場へと足を運びます。
大半の観客が求めているのは「パイレーツっぽさ」を構成している「要素」ですから、細かいストーリーの理解など、どうでもよいのです。大切なのは、「パイレーツ」シリーズの「あの楽しげな感じ」が、今回も変わらず画面を覆い尽くしていること、ただ一点のみ。批評家の東浩紀氏は、こうした楽しみ方を「データベース消費」と呼んでいます。観客が消費しているのは物語(ストーリー)そのものではなく、「パイレーツっぽさ」を構成する要素(データベース)だからです。