釜石ラグビーは多くの人々の夢を担っている。製鉄所の規模が縮小される前の、元気だった釜石の街を取り戻そうという使命を担っている。だから釜石SWは活動を再開した。
「まだラグビーどころじゃないのでは、と悩みました。街あってのチームだから。でもひたむきにがんばるのが釜石ラグビー。ぼくらはへこたれない。復興の一歩を示すため、ラグビーをやることにしたのです」
震災直後から、ラグビー部員はボランティア活動に励んできた。車いす患者の移動や救援物資運びの「力仕事」をサポートする。外国人選手も釜石にとどまった。ラグビー教室も開いた。子どもたちの笑顔に救われた。5月15日、盛岡で関東学院大と震災後初の対外試合にのぞんだ。そして6月5日。地元でヤマハと対戦した。
高橋は震災後、激務と乾パン生活で120キロの体重が5、6キロ落ちた。ラグビーの試合に例えると、自陣ゴール前のスクラムみたいなものだ。
「絶体絶命のピンチです。でも踏ん張って、みんなでスクラムを押し戻せば、チャンスが生まれるのです。ぼくは釜石の復旧、復興を信じます」
釜石名物がカラフルな大漁旗である。被災を免れた30枚の大漁旗を、高橋は被災地山田町のラグビーファンからプレゼントされた。
もちろん復興は容易ではない。まだ多くの人が避難所で暮らし、瓦礫も残る。でも釜石は生きている。試合では、その希望の大漁旗もうち振られた。
「カ~マイシ、復興するぞ~」と叫びながら。
(文中敬称略)
※すべて雑誌掲載当時