モーガン・フリーマンまでの偉人でなくても、日常の場面で、威張ったり虚勢を張ったりすることは、決していい結果をもたらさないようだ。

学生の頃、社会人の先輩に、諭されたことがある。他人に向き合うときに、自分のすぐれたところ、セールスポイントを押し出す必要などない。むしろバカのふりをするくらいのほうがいい、他人に受け入れられると言うのである。

世の中の人は、オレは賢い、ものを知っている、という人に対しては警戒して心を開いてくれない。むしろ、ちょっと足りない、バカだ、と思われるくらいのほうがいい。こいつ、どうしようもないなと笑って、気を許してくれる。

もちろん、バカのふりをするということは、本当にバカになる、ということではない。むしろ、仕事は全力で、誠心誠意やる。そんなふうに取り組んでいるうちに、実力は、自らアピールしなくても、自然に相手にわかる。地道にコツコツ実績を積んでいけば、一見バカに見えるその印象とのギャップが、むしろ相手を魅了するのだと。

最近の学生さんと話していると、プレゼンやアピールが大切だと言われている時代のせいか、とにかく自分のいいところを強調しよう、という傾向が強い。しかし、世間でそのようなやり方の受けがいいかというと、必ずしもそうではないようだ。

いわゆる悪い意味での「意識高い系」の学生に共通した問題点は、実力以上に自分を大きく見せようとするところであろう。本当は、長い時間をかけて、粘り強く実力を培うべきなのに、表面だけ取り繕おうとする。その結果、上滑りしてしまう。

人気も実力も兼ね備えたモーガン・フリーマンが控えめな人であるというのは、実にいい話だと思う。日本でも、古来、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と言う。他人に対しては謙虚な態度で、気長に実力を養いたいものだ。

(写真=時事通信フォト)
関連記事
なぜ、できない人ほど自分を過大評価するのか
ビジネス成功者は皆な気配り上手
相手をうんざりさせない自己アピール術
なぜ「できる人」より「好かれる人」が出世するのか
出会った人を必ず味方にする「フレーム理論」