金を見るとどんな君子でもすぐ悪人になる

――主人公にしても、歴史上の偉人ではなく、どこにでもいる等身大の人たちですね。

三四郎も『それから』の代助も現代の日本の若者そのものです。恋に悩み、仕事に迷う。そんな彼らでさえ、心に悪のムシを飼っています。ただ、この場合の悪というのは犯罪というよりも病気ととらえるべきでしょう。背後にあるのは、極端な不足と過剰。人間は不足状態に陥ると、そこから脱出しようとして悪が頭をもたげます。ムシが増殖するわけです。もう一方で、過剰なのにもかかわらず、さらに欲にかられると悪に走りやすい。

きっかけは金銭かもしれません。『心』に「金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ」という一節があります。いまも昔も変わらぬ金言です。お金は、あらゆる不幸をもたらす災いのタネでもありますが、いろいろなことを解決してくれる救世主のような側面もあります。資本主義は、この矛盾をエサに人の心を釣り、これまで延命してきました。漱石は、悪の正体を、ごく日常の言葉を通じて明らかにしたのです。人生の深淵を覗くようにして、私たちの時代を見定めていたのです。漱石が読み継がれてきた理由はそこにあるのではないでしょうか。

――とにかく、いまの日本は、殺伐としていて、とりわけ若い人には希望が見えにくい。そうしたなか、漱石からどんな思いを汲み取ればいいですか。

そんな世の中ですが、漱石は『草枕』のなかで「世に住むこと二十年にして、住む甲斐ある世と知った」と記しています。私も還暦を過ぎて、そう思うようになりました。もちろん、日々のストレスがないわけではありません。また、ああでもない、こうでもないと悩むことしきりです。しかし、それでいい。60代後半の私は、まだまだ人生の途上を生きているからです。

漱石の短編に『硝子戸の中』という作品があります。あるとき、漱石のもとに、恋に破れた女性が相談に来ます。彼女は「死にたい」とつぶやきました。しかし、漱石は彼女を押しとどめ、すべてを癒してくれる“時”の効用を語るのです。すっかり夜も更け、彼女を送りがてら漱石は、曲がり角に来たとき「死なずに生きていらっしゃい」と声をかけます。何と思いやりのある、温かい言葉でしょうか。私は漱石のすべての人に対するメッセージとして受け取りたいと思います。

(構成=岡村繁雄 撮影=澁谷高晴)
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