今日の繁栄に至るまでの長い苦難の道のり

大国の隣にある小国では「大国に呑み込まれる」という危機感はつきものだ。しかしドイツの隣のデンマークしかり、スイスやオーストリアしかり、アメリカの隣のカナダしかり、大国に呑み込まれることなく、したたかに生き抜いて国際社会で存在感を放っている。「大国に呑み込まれる」という危機感は時として小国の政治を動かすが、現実の経済は「大国を利用してナンボ」というプラグマティズムに基づいて進んでいく。日本でも最近伸びているスウェーデンのH&Mはドイツが最大の市場となっている。

馬英九政権の8年で台湾は大きく変わった。「中進国のジレンマ」から抜け出せずにモタモタしている韓国を尻目に、台湾経済は国民1人あたりGDP3万ドル経済を実現して先進国の仲間入りをした。米シリコンバレーで起業してIPO(新規株式公開)まで果たした人の数を国別の人口で割ると、1位がイスラエルで2位が台湾。アジアでは断トツ1位だ。

決して平坦な道ではなかった。私は李登輝元総統のアドバイザーをやっていたが、台湾とかかわりを持ったのはそれ以前の1980年代初頭。中華航空の立て直しを頼まれたのがきっかけだ。当時の台湾はまともに付き合ってくれる国がなくて、中華航空は日本では成田空港には入れてもらえずに羽田のみすぼらしいターミナルを与えられていた。

ヨーロッパではアムステルダムくらいしか就航できなかった。大国中国に遠慮して、「国じゃないところに航空権は与えられない」というのだ。

そうした四面楚歌の寂しさから台湾は出発した。その後、国民党の冠を借りながら、本省人の李登輝が初の民選総統となって台湾の民主化、工業化を進めた。2000年の総統選挙で陳水扁が勝って、国民党の反対勢力が結集してつくられた民進党が政権を握る。しかし、前述の通り、陳水扁政権は中国との緊張関係を高める一方で、失政と腐敗を重ねて国民の怒りを買った。結局、日本の民主党政権同様、「政権担当能力のない民進党はもうこりごり」という世論の反動で馬英九率いる国民党が政権に返り咲いた。

このような長い道のりを経て台湾が中国と互恵的な関係を築き、繁栄にこぎつけたことを蔡英文はよく知っている。だから選挙キャンペーン中も馬英九を批判するような発言はしなかった。