「おまえはどうなってもいいから産め」という言葉の意味

結局、私ひとりで観にいくことになったのですが、内心ホッとしました。この映画を観て、感情のコントロールができなくなったらどうしよう、と不安だったからです。号泣事件の異常さからもわかるように、私の心はどうしようもないくらいに疲れていました。

映画館に入ると、大きな反響があった原作・ドラマの映画化とは思えないほど、人はまばらでした。さり気なく観客に目をやると、少ないとはいえ20代から70代の男女がバランスよく揃っていました。なかには私と同じように自分のパートナーもがんなのか、かなり深刻な顔をしている人も何人かいました。

私は、一番深刻な顔をしている同年代の男性の席から左に3つ離れた席に座りました。自分と同じようにパートナーががんと闘っていると思われる人が、どのような反応をするのか知りたかったからです。

映画が始まると、すぐに右側の席から洟をすする音と、ときおりため息が聞こえてきました。私も彼と同じタイミングで、心のなかでため息を漏らしていたので、彼の気持ちが痛いほどわかります。はなちゃんが初めてみそ汁をつくったシーンで、彼は思わず「よかったね」と呟き、深いため息。その悲しそうに湿った声が、私の心に刺さりました。

この映画は重すぎる内容なためか、夫(信吾さん)がそそっかしく、少々コミカルに描かれていました。それでも妻ががんで闘病している私には、映画のなかの人たちのつらさ、大変さがひしひしと伝わってくるため、始めから終わりまで、観ていてつらくて仕方がありませんでした。だからこそ、いい映画ともいえます。自分の家族と重ねて観るとすぐに涙が出てくるため、必死になって家族のことを考えないようにしていたくらいです。

この映画で印象に残っているシーンは、千恵さんが乳がんの宣告を受けた後、信吾さんが彼女の父親に結婚を認めてほしい、とお願いするところです。いうまでもなく、心の底から彼女のことを愛していなければ、できることではありません。だからこそ、千恵さんをサポートするのに最高の状態にあった、ともいえます。夫婦といえども仲が悪ければ、とてもがん闘病者のサポートはできるものではないからです。

このほか、妊娠した千恵さんが再発のリスクが高くなる、ということを知って中絶を考えるのですが、実の父親が「おまえはどうなってもいいから産め」というシーンにも、ハッとさせられました。これは彼女の父親が膠原病で苦しんできたけど、子どもの存在に助けられたからです。娘にも自分と同じように病と闘ってほしい、と願っての言葉です。そうすることで、結局は自分も救われる、といいたかったのでしょう。実際、映画ではなちゃんがいるからこそ、千恵さんがつらい治療にも耐えられる姿が描かれています。

親子でお風呂に入っているシーンでは、はなちゃんが千恵さんの胸を見て、「あたしがおっぱいを買ってあげるね」という言葉に、せつないものがありました。これは小さな子どもを持つ、乳がんで乳房を全摘出したすべてのママが似たような経験をしているかと思います。言葉によっては、傷つくママも少なくないかと思います。私の妻は娘の反応について「まだ小さいから、おっぱいがなくなる悲しみを理解できていない」といっていました。