ついに本格的に独立、全国に進出
海事代理士会の研修会などに積極的に参加し、実務を学ぶ。独学で、法律などの勉強を続ける。収入を補うために、契約社員や派遣社員として大手IT企業や不動産会社で働いた。不動産会社では、コールセンターで大家(オーナー)や賃貸人などから、相談を受けた。困ったのが、自殺をほのめかす人からの電話だった。
「“この音、聞こえる”と言われたことがあります。オーナーさんの娘さんで、包丁の刃を机でたたいているみたいでした。“今から、死ぬの”と言われ、戸惑いました」
こんな電話も受けた。
「ある賃貸人からで、“部屋の壁から、放射能が出ている! そのせいで、目がキュルキュルする!”と言われました。こんなときは対応が難しいですよね」
この頃、海の街・横浜市へ事務所を移転した。結婚もした。週末を利用し、ほかの海事代理士らとネットワークをつくり、相談会などを催した。しかし、大きな仕事をつかむことができない。
2008年、35歳のとき、不動産会社を辞めた。あるクライアントから、安定した海事代理士の仕事の依頼を受けるめどがついたからだ。事務所を「シーサイド海事法務事務所」とあらため、再スタートする。本格的な独立である。
2年後の2010年頃に、クライアントやお客さんが増え、事務所の経営が安定しはじめた。ホームページなどを通じ、全国から相談を頻繁に受けるようにもなった。当初は、奥さんの協力を得ていたが、スタッフを雇うようにもなった。東京へ進出するために、営業所も開設する予定だ。
「海事代理士の世界も、親や祖父母から受け継いだ、2世・3世が増えています。新参者の私は、いかに差別化をはかるかといつも考えています。今後は、全国に事務所を構えて、幅広い地域でサービスを提供したいと思っているのです。
10代の頃から、一国一城の主になりたい、と願っていました。20種類以上もの仕事に就いて現在に至りましたから、皆さんには、とても感謝しています」