手紙の精髄はラブレターにあり

手紙に限らず、相手のことを思い浮かべ、語りかけるように書くということが文章の骨法です。書き慣れていない人は構えてしまい、いきなり「拝啓 時下ますますご清栄の……」と書き始めたりしますが、あれはいけません。時候の挨拶にしても、誰に対しても「薫風さわやかな季節になりまして」なんて書かない。例えば、相手が信州に住んでいるなら「東京はすっかり春になりました。信州はまだ雪が残っているでしょうか」、相手が沖縄の人なら「もう沖縄はすっかり真夏でしょうね」となるかもしれません。時候の挨拶を書きたくなければ書かなくてもいい。手紙に「型」なんてないのです。

ビジネスパーソンの方は手紙を書く機会も多いでしょうが、だからこそ、通り一遍の内容のものはそこら中を飛び交っています。ですから「手紙の書き方」みたいな本は読まないほうがいい。同じ手間をかけるなら、礼儀正しい文面の中にも「あなただけはちょっと特別です」とプライベートな関係をにおわせたいところです。例えば営業で初めて訪問した相手へのお礼状に、「今日、初めてお目にかかりましたが、あのように真摯にご対応いただくことは珍しいことです。心からありがたく思っています」としたためるようなことでもいいかと思います。

「後朝の文」ではありませんが、手紙の精髄はラブレターにあるのではないでしょうか。手紙というのは相手のことを思って、真心を伝えるものです。たとえビジネス上の手紙でも、心の奥底にはラブレター的なものをもって書くといいかもしれません。

私はこれまでにいただいた大事な手紙は、特別な箱に入れて残しています。いずれもその手紙を受け取ったときのありがたいと思ったり、嬉しいと思ったり、そういう気持ちが喚起されるようなものばかりです。例えば、亡くなった私の師匠が、イギリスに留学中の私にくださった励ましのお便りなんかは、当時、ほんとうに涙こぼるる思いで読みましたから、今も大切にしています。

逆に言えば、そういう心がこもっていない手紙は、紙くずとして捨てられていく。その違いは文字や文章の巧拙ではありません。その人が私のことを思って、真心を込めて書いてくださっているかどうかなのです。

作家・日本文学者 林 望
1949年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了。ケンブリッジ大学客員教授、東京藝術大学助教授等を歴任。日本古典籍の調査研究のためイギリスに滞在した経験を綴ったエッセイ『イギリスはおいしい』で、91年作家に。当時、家族に送った手紙をまとめた『イギリスからの手紙』を、昨年上梓した。
(田端広英=構成 干川 修(林望氏)、田中宏幸(手紙)=撮影)
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