システムの導入で息を吹き返す

今から10年前、家業に乗り出したばかりの魚谷宗司氏は途方に暮れていた。

「金がそろそろ回らなくなってきたというときに、銀行から追加融資のストップがかかりました。“もう倒産しろ”というくらいの宣告です。買うことも売ることもできない。赤字を出したら銀行が引き揚げるという切羽詰まった状態。何か違う商売をやらなきゃいけない。窮地に立たされていました」

鳥取県の住宅メーカー、アート建工代表取締役社長 魚谷宗司氏

鳥取県境港市に本社をおく住宅メーカー、アート建工社長の魚谷氏は24歳だった当時の状況を懐かしむように振り返る。インタビューを行ったのは事務所兼モデルルーム、辺りはコンビニとゴルフ練習場、住宅地が点在し、田畑に囲まれ長閑(のどか)な雰囲気に包まれている。

だが、そんな周囲とは裏腹に魚谷氏は野心家だ。「2億、3億、おまえが自由に使っていい」という豪腕家の父の一言に触発され、同志社大学を卒業した04年、家業の一員となった。早速、父と共に競売物件の転売ビジネスに乗り出したが、1年余りで頓挫。甘い夢は消え去り、目の前には突然、困難だけが残った。

「そのころ、ふと注文住宅事業を思い出したんです。そもそもうちは家業の関連会社で注文住宅をやっていたので、住宅工事ができる人はいる。投資も不要、ほとんど設備もいらない。身一つで始められると思ったんです」

業界の慣習も何も知らない素人同然の身だったが、考える暇はない。偶然手元に舞い込んだ1件の商談に向かった。でも思い通りにはいかなかった。

「当時、私たちのような小さな工務店の営業は最初、どんな話になると思いますか。まずお客様に『土地は○○坪あるから、建物はどんな間取りで、いくらですか』と聞かれるんです。でも、答えられない。だから『どんなものがほしいですか』と聞く。その要望を事務所に持ち帰って、最初の見積もりを出すまでに2週間かかる。またお客様のところに行って要望を聞いて、持ち帰って、もう2週間かかる。3回目にお客様に提案に行くときにはもう2カ月が過ぎているんです」

結局、魚谷氏は案件を競合である大手住宅メーカーに横取りされてしまう。問題は明らかに時間のかけすぎだった。そんなとき、事務所に届いていたファクスが目に飛び込んできた。

「私は読んですぐ、そのファクスに救いの光に見出したんです」