一つは、長期的な視野での経営を促すこと。もう一つは、他のステークホルダーの利益を考慮せざるをえないこと。株主の利益を考えるということは他のステークホルダーの利益を考えることを意味する。他の利害関係集団の利益を尊重せざるをえないのだ。他のいずれかのステークホルダーの利益を軽視すれば、長期的には問題が起こることが予想され、そうなれば株主は損害を被る。それを避けるには、他のステークホルダーの利益を尊重せざるをえないのである。

しかし、株主のほとんどは株式市場で自由に株式を売ることができる。長期的なツケがくる前に会社との関係を断つことができるのである。株主の中でも長期的なコミットメントを持っているのは、同族や親会社である。

フランスでは、長期保有の株主の議決権が増えるという制度がある。日本にはこのような制度はないが、慣行として、株主の中でも、長期的コミットメントを持っている同族や親会社の意向がより尊重されている。同族や親会社の持ち株比率が過半に達していなくても、同族や親会社が会社統治の主役になっている例が少なくない。このようにして長期コミットメントを持つ株主の意向が尊重されているのである。

しかし、長期的コミットメントを持っているのは、株主だけではない。日本では他のステークホルダーも長期的コミットメントを持っている。あるいは長期的コミットメントを持たせる慣行がある。従業員は、終身雇用という制度のもとで長期的コミットメントを持っていたし、取引先も、長期継続取引という慣行の下で長期的コミットメントを持っている。

長期的コミットメントを持つ取引先とは株式の持ち合いが進められ、その意向が尊重し合えるような慣行が生み出されている。持ち合いは一時解消されかけたが、再び回復されつつある。

このように考えれば、株主に議決権を与えるという制度は、会社のより効果的な統治という視点から見ると合理性を持っている。また、その論拠に注目すれば、日本の会社統治の慣行も合理性を持っていたと考えることができる。

しかし残念なことに、株主主権の回復による会社統治制度の改革というスローガンの下で、日本の合理的な制度が破壊されてしまった。どのような論拠で株主主権が正当化されるかということが真剣に議論されてこなかったからだ。