【田原】それでどうしたんですか。

【鈴木】今考えてみて、逆に幸いだったのは、新会社に集まったのが素人同然の社員たちだったことでした。創業の意識を持たせるため、新会社は給料も就業条件もヨーカ堂より厳しく、出向ではなく転籍を求めたら、社内からは誰も希望してこない。私はヨーカ堂の人事部長も兼任していましたが、権限を行使するわけにもいかない。新聞広告で募集すると、応募してきたのは、自衛隊の元パイロット、労働組合の元専従、製パン会社の元営業マンなどです。結果として、ほとんど全員が小売業の経験を持たない素人集団ができました。

【田原】何で素人の人たちが応募してきたんでしょうね。

【鈴木】流通業について何も知らなかったからでしょう。これが小売業の経験者だったら、日本でコンビニエンスストアのチェーンを立ち上げるなど、無理だと考える。でも、社員たちは、私がこうやろうといったことに対して、素直に応じてくれました。コンビニの経営を成り立たせるには、問屋から店舗への小口配送や、牛乳メーカーが他社製品も運ぶ共同配送などが必要で、流通業界の既存の常識や慣習を根底から変えなければなりません。社員たちは困難でも壁を一つひとつ打ち破り、日本初の本格的なコンビニチェーンの仕組みをつくりあげていったのです。

【田原】従来の知識やしきたりにとらわれなかったからこそ、これまでになかった仕組みができた。

【鈴木】人間はとかく、過去の経験の範囲内でものごとを判断しがちです。その後も新しいことを始めようとすると、決まって反対論が出てきました。おにぎりや弁当も、今でこそコンビニにあるのは当たり前ですが、セブン-イレブンで販売を始めるときは、まわりは猛反対でした。

【田原】おにぎりや弁当は家でつくるのが常識だから、売れるわけがないといわれたとか。鈴木さんはその反対をなぜ押し切れたんですか。

【鈴木】当時は1970年代半ばで、すでに、家から弁当を持参するより、外食をする割合が増えていました。おにぎりや弁当は日本人の誰もが食べるものだから、潜在的な需要はある。よい材料を使い、味を追求して、家庭でつくるものと差別化していけば、必ず支持され、外で買う習慣が生まれてくる。そう信じて反対論を説き伏せました。

【田原】常に仮説を立て、実行するというのが鈴木流の経営のやり方です。おにぎりや弁当を外で買う習慣が将来生まれてくるだろうというのも、仮説ですね。鈴木さんの仮説が当たるのは、なぜでしょう。

【鈴木】私はもともと、ものまねが好きじゃない。独自のものをやる。よくいうのは、みんなが賛成することはたいてい失敗し、反対することはたいてい成功すると。みんなが賛成することは、誰もが同じことを始めるため、過当競争に陥り、順に脱落する。一方、過去の経験から反対されることは、多分に未来の可能性を秘めているので、実現できたときには、ほかにない新しい価値を生み出せる。だから、逆に成功も大きくなるのでしょう。