でも、諦めない。ここでも、みんなの納得を得ていくために、手順を踏んでいく。はじめは、JR東海からの「うちには、小売業のノウハウはない。とにかく、人だけ出して下さい」との要請に応じることから入り、「まあ、それならいいか」と合意を形成していく。ただ、運営を引き受けるだけならリスクはないが、発展性もない。次に「これでは、もったいない。過半はとれなくても出資して、高島屋の名前を出してやるほうが、出向いた人も働きがいがある」と主張する。だが、今度は、簡単にはまとまらない。やむを得ず、とりあえず人は出すが、出資や高島屋のマークを付ける点は切り離し、出店の発表だけにとどめた。
地方店の存続は現場の自助努力で
でも、出店を公表すれば、JR東海と高島屋の関係が生まれ、双方のトップが「1度、きちんとテーブルについて話しましょう」とか「晩飯でも食べましょう」となって、相互理解は深まるだろう。そうやって環境が熟していくなかで、「やはり、やるなら出資しなければダメではないか」「出資する以上、高島屋のブランドできちんとやりましょう」となっていくのではないか。
そんなふうに、みんなのベクトルが一致していくように仕向けて、新事業の進路を拓く。初めは2、3%で議論していた出資比率は、いま33.4%。96年に新宿店、2000年にジェイアール名古屋タカシマヤを開業し、社員の多くがどちらかへ応援に出て、連帯感も共有した。
「徳者事業之基」(徳は事業の基なり)――――立派な行為を保ち、人をいい方向へと感化していく力こそ、あらゆる事業の根本だとの意味で、中国・明の洪自誠の著『菜根譚』にある言葉だ。恬淡として私心を打ち消し、先見性を示すだけではなく、衆望を集めるリーダーシップを徐々に発揮しながら社業発展を期す鈴木流は、この教えと重なる。