最も重要なことは現地の文化への「リスペクト」
もう1人、代表取締役専務執行役員で、国際事業本部長の齋藤賢一も、入社以来のべ18年を海外で過ごした経験をもつ。これまでの海外赴任はすべて米国で計3回。昨年まで島田の前任として米国販社の社長を務めていた。
入社は69年。6年目のとき、かねてからの希望がかない、ロサンゼルス行きの辞令が下った。留学経験はなく、はじめての海外。76年から79年までの3年間を過ごした。
「当時はアメリカに行けること自体がインセンティブでしたね」
英語はアメリカで働きながら学んだが、しっかりした表現を身につけようと学校にも通った。週1回、午後6時半から9時半まで、英語が母国語ではない移住者向けのクラスに入った。
齋藤は「最初の1年が勝負」と言う。
「意識して、あまり日本人のいないエリアに住みました。周りに日本人がいると、日本語ばかり使ってしまう。やっぱりそのほうが楽ですからね。そのうち日本人の集まるバーに行って、日本食のレストランに行くようになる。英語は、最初の1年で集中的に覚えるようにしないと難しいと思います」
齋藤が「アメリカのことがわかった」と振り返るのは2度目の渡米。シカゴの支店長として87年から95年まで駐在したときのことだ。