一方、オリジナルとフェイク(偽物)という対立項とは別に、オリジナルとコピーという問題もあります。コピーとは複製を意味しますが、最先端の印刷技術となると、オリジナルとコピーの区別が専門家でも難しいほどの、物凄く高度なコピー技術が登場してきています。例えば、京都の神社や仏閣が持っている日本画の中でも相国寺がコレクションしている伊藤若冲の作品は日本の国宝と言っていいものだと思いますが、2007年に開基足利義満600年忌を記念して開催された若冲展では、京都に生まれた若冲が両親と自分の永代供養のために寄進した釈迦三尊像(三幅)と動植綵絵(三十幅)が118年ぶりに一堂に展示されました。

2007年3~6月に京都の相国寺承天閣美術館で開催された「若冲」展の展示風景。名作「釈迦三尊像」。
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2007年3~6月に京都の相国寺承天閣美術館で開催された「若冲」展の展示風景。名作「釈迦三尊像」。

動植綵絵は皇室に献納されているため、両者が揃うのは異例中の異例であり、今後二度とないということで、展覧会終了後、ハイビジョンカメラで撮影し、コピーを制作したと聞きました。その仕上がりが凄いそうで、若冲のオリジナルと比べても、迫力は遜色ないものだったそうです。こうした文化財を世界一の印刷技術を持っている日本が率先して、保護のために利用するのは素晴らしいことです。

高度な印刷技術を前にすると、確かにオリジナルだけが持っているはずのオーラごと、新しく転写されてしまったように感じないこともありません。それほどに人間の眼はだまされやすいのかもしれません。例えば、通信販売でもアート作品は人気だそうで、ゴッホやマチス、シャガールやピカソのコピー作品が20万円~30万円で売られているようです。身近に名作を飾るという点では、確かに意味があるでしょう。しかしそれと同じ金額で、若いアーティストの作品ならば、オリジナル、それも書き上げたばかりのアーティストにとっての初期の代表作を手に入れることができます。

同展の「動植綵絵」に見入る人々。
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同展の「動植綵絵」に見入る人々。

少しだけ未来のことを考えてみます。このまま印刷技術が恐ろしいほどにオリジナルに近づくと、誰でもがデスクトップからダウンロードして、レオナルド・ダ・ヴィンチや若冲を自分の手元に置ける時代が来るでしょう。それはそれで楽しめるはずです。しかし、過去の名作を眺めて暮らすことと、同時代の才能を評価し、同時代アートを共有することは大きく違う意味があります。

ビジネスマンの皆さんは、今、世界的規模での資本主義経済の真っただ中におられる。だからこそ、同時代に生きるアーティスト、現代アートの理解者であって欲しいし、おそらく共感者であると思えるのです。しかし、まだビジネスマンとアーティストとの接点は少なく、交流の機会はごくわずかしかありません。生身のアーティストという、作品も含めて究極の個性をぜひともビジネスマンの皆さんに繋ぎたい、そうすればきっと何か面白いことが起こると思っています。オリジナルとフェイクを見抜く力もオリジナルに拮抗するコピー技術も、真の意味での理解者は、アートの専門家よりも国際感覚を持つビジネスマンの方だと思えるからです。