しかし突然の辞任宣言翌日の4月3日の記者会見では、口調は落ち着いたものに変わっていた。どこかしら表情もすっきりしている。自身の不十分な言葉使いに「心からお詫び申し上げる」と謝罪し、失言も撤回しなかった。
それでも「人の心を傷つけた」ことについては「申し訳ない」と謝罪反省するが、「意図せざる形で人が傷ついた」「傷つけたことについては、私の心も傷ついた」「言い換えると不適切だとは思っていなかった」「そこで傷つかれているのは不本意だ」と持論を主張。この日も発言はやはり撤回しなかった。
数々の問題発言には“あるもの”を重視しているという共通点が
最終的に県議会の圧力などもあり4月5日になってついに発言を撤回したが、なぜ川勝知事は頑なに発言を撤回しなかったのか。おそらくそれは、本人が主張する通り、彼には明確な職業差別の意識がないからだと思われる。
過去に問題となった川勝知事の発言を見ていくと、そのなかに1つの“共通点”が浮かび上がってくる。
2021年に富士市の集会でした「顔のきれいな子は、賢いことを言わないとなんとなくきれいに見えない」という発言や、昨年10月に参院補欠選挙の応援演説で、御殿場市について「コシヒカリしかない。飯だけ食って、それで農業だと思っている」という発言、さらに2022年の高校野球春の甲子園で、東海大会準優勝の聖隷クリストファー高校が選ばれなかったことについて「判断がおかしい」「選考に関わった人は辞任を」と日本高校野球連盟を批判した発言。
これらをみると、彼は「知性」というものにこだわりがあるように見える。今回問題になった訓示についても、「新入職員に知性を磨くよう話した」と力説する場面があった。早稲田大学からオックスフォード大学に留学し、早稲田大学で教授にまで昇り詰めるなどエリート街道をまっしぐらに歩んできた川勝氏だけに「知性」によって評価判断されてきた部分があるのだろう。問題になった訓示でも「知性」という言葉を使っていた。
「不適切だとは思っていなかった」と持論を繰り返しながら、自分の言葉で人を傷つけたことだけは謝罪した川勝氏。内面を分析されることについても「メディアハラスメント」と言われてしまうのだろうか。