それらがしっかり身についていないアーティストは、立派な体格なのに骨が脆い、という感じになってしまっています。私は日本のアーティストには、今こそ、骨太になっていただかないといけない、と思うのです。なぜなら、現代アートは日本から言語を中心にしない形で発信できる数少ない芸術表現であり、世界的に起こったジャポニズムのように、何十年も前から、世界で競争して勝ってきた分野だから、です。

またそれと同時に、作品だけを送り込んだ時代から、本人が作品と共に語る時代になってきたことを含めて、発信し、日本人が何を考え、何を表現するのかという、大事な要素が現代アート作品にはあります。作品の中に込める、日本人アーティストの文化的背景、それら歴史、哲学、宗教の「背骨」が大事になっているのです。素晴らしい作品には表面的な美に加えて、その背骨があればこそ、輝き出すのです。

日比野さんのようにアーティスト活動をやめないで続けるためには、そうした覚悟と行動が必要なのです。逆にいえば、美大や海外のアートスクールに通わなくても、たくさんの量の作品を作り続けてクオリティを保ち、精進してゆけば誰でもアーティストになれる可能性がある、とも思っています。

また、欧米の現代アートの解釈の中には、欧米以外の国、アフリカやアジア、南米などのアーティストに対して、文化的な背景を考えず、キリスト教的な図像解釈をするケースも起きています。たまに、日本の現代アート作品の説明として首をかしげるような英語の記事を発見すると、もっと日本の文化や歴史を知っていただかなければならない、という気持ちになります。日本が神話を起源に持っている民族であることや1200年以上続いている伊勢神宮の式年遷宮の魅力、また他国の宗教と違い聖典は持たないものの、800万の神々や自然に感謝し、神や自然と共存をしてきた民族であること。これらを日本の現代アートの背骨的文化背景として、語る義務があると思うからです。

また、日本に伝わり、花開いた仏教美術の体系や表層的には世界に広がる日本のサブカルチャーなどもその深層を知る必要があると思います。学生や若いアーティストに話しをしても、外国のことのように驚くばかりですが、この役目を果たそうと決意しています。僭越を承知で断言しますが、美術大学は歴史、哲学、宗教を必修科目として教える必要があると思います。

これらの学問は、表現活動をする人にとってだけではなく、社会人として生きるための「背骨」であり、「背骨」がない人間は、長くは立っていられない、からです。まだまだ発展への道のりは始まったばかりです。