「木が全然売れへん」「売らんほうがマシや」田舎暮らしに憧れる大学生が見た“林業の残酷すぎる現実”(嶋田 俊平/ノンフィクション出版) 『700人の村がひとつのホテルに』 #2

「ここは自分のふるさとじゃない…」ヤマンバギャルを初めて見た帰国子女の絶望 から続く

『ガイアの夜明け』でも話題を呼んだ「地方創生」のトップランナーは、いかにして「ふるさとを守りたい」という気持ちを熱くしたのか。

コンサルティング会社「さとゆめ」の代表・嶋田俊平が雲ケ畑(京都市)で森づくりを体験した大学生時代のエピソードを、新刊『700人の村がひとつのホテルに』より一部抜粋。そこで直面した林業のあまりに厳しい現実とは?

「地方創生」の成功モデルとして全国から注目される「山梨県小菅村」の美しい自然風景、氏が手掛けた古民家ホテル「NIPPONIA 小菅 源流の村」の写真とあわせてお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

若かりし頃の嶋田氏が見た「林業の厳しい現実」とは? 写真はイメージです ©iStock.com

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「森のつくり方」を学ぶために京都大学へ

1997年4月、一浪の末に京都大学農学部生産環境科学科森林科学専攻になんとか合格できて、いよいよ京都での生活が始まった。

いざ入学すると、私の志望していた森林科学専攻には森林関係だけでも10以上の研究室があった。森林生態学研究室、熱帯林環境学研究室、森林水文学研究室、森林情報学研究室、木材利用学研究室……。細胞やDNAレベルの基礎的な研究から、マクロの生態学や最先端の素材に関するものまで、その内容は多岐にわたっていた。

どの授業も興味深いものではあったが、学術的に専門領域を究めようとする色合いが濃くて、熱帯雨林を再生したいという私の思いとはかけ離れた内容だった。

憧れていた京都での学生生活をそれなりに楽しんではいたものの、どうやら大学では誰も「森のつくり方」を教えてくれないようだとわかり、私のもどかしさは募るばかりだった。その頃の私は、今すぐにでもタイの熱帯雨林を再生したいと意気込んでいたのだ。

京都は三方を東山、北山、西山と呼ばれる山に囲まれていて、どこからでも新緑を望める。京都市の北部の山間では、北山林業と呼ばれる伝統的な林業が行われているということも知った。

これだけ豊かな山々に囲まれているのだから、「森のつくり方」を学べる場所がきっとどこかにあるはずだ。

そこで、たまたま知り合った京都府林務課(当時)の白石秀知さんに「森づくりを勉強したいと思って京大に入ったのですが、専門的な知識ばかりで、森づくりの実務を教えてくれないことがわかりました。どうしたらそういったことを勉強できますかね」と相談すると、北山の雲ケ畑森林組合を紹介してあげよう、となった。

ボランティアとして山仕事を手伝えば、大学では学ぶことのできない、現場での仕事ぶりを肌で感じ取ることができるのではないかというのだ。

白石さんはすぐに雲ケ畑森林組合長(当時)の安井文雄さんに掛け合ってくれて、まずはやってみろということになった。